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田岡三代目は、「麻薬に手を出した者は即刻破門だ!」とし、妻のフミ子姐さんは本家に座敷牢をつくった。姐さんにとって麻薬患者の苦しみは、すなわち自分の苦しみだったのだ。
これも若い者への愛である。〈だれが好んでそんなつらい思いをするものか〉と三代目は自伝に書いている。三代目は1963年に右翼の田中清玄や立教大学の松下正寿総長、作家の平林たい子の各氏に呼びかけて「麻薬追放国土浄化同盟」も結成している。
なぜ、三代目がこうした活動をするのかというと、三代目が評価していた大西という若い者がヒロポンの虜になり、つぶれてしまったことがあったのだという。この大西はなかなかの器量で、山口組にとっては惜しい人材だったのだ。
「○□×▽……」喋るのもままならない
ある日、私がヒロポンを打って狂っていると、「竹中組三羽烏」の平尾光と笹部静男、そのほかの竹中組の幹部クラスがひとりずつ私のところにやってきたことがあった。
「兄弟……」
「おう……なんや?」
「シャブはやめるよう親分(四代目)が言うとるで……」
「○□×▽……」
私は頭が飛んで狂っていたので、不気味な返事しかできなかったようだ。覚えていないが、後日、そう聞いたのである。
それからまた何日かあとに竹中組総会があり、親分に挨拶した。
「悟……」
「はい?」
「おまえ、シャブやっとんのか?」
「え? あ、は、はい……」