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ヒロポンをやめられた「恩人の言葉」

「俺の親分である田岡一雄が覚せい剤はやめとけ言うているのに、若い衆である俺がかまへんと言えると思うか?」

「はい……」

「悪いことは言わんから、覚せい剤みたいなしょうもないもんはやめとけ」

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「はい……」

 そのときに大西の話を聞いたのである。

 私はそれからしばらくしてヒロポンをやめた。

 私がヒロポンをやめてから三十数年がたつが、当時の私を知っている者に「竹垣はまだシャブをやっている」と陰口をたたかれている。

 まあ、以前はポン中だったのだから、しかたない。

 あのころの姫路には私の右に出るポン中はいなかっただろう。そのくらいムチャクチャをやり、竹中組では「伝説のポン中」だった。

現在はNPO法人五仁會代表として社会貢献に励む竹垣氏(写真:本人提供)

 こんな私を、竹中正久という親分は心底慈しんでくれたのである。

 いまも本当に感謝している。