プライス・キャップの威力
「制裁など効いていないのではないか」
「自国経済への悪影響の方が大きいのではないか」
制裁が発動された後、産業界などからそんな声も聞かれた。ハイブリッド戦争の時代、ロシアによる情報工作の影響もあろうが、素直に疑問をもった方々が少なくなかったのは事実である。だが、言うまでもなく、制裁は極めて有効である。
当初は、SWIFTからの排除や資産凍結、特に、ロシア中銀資産の凍結などにより、極めて強力な効果を発揮した。ロシアの通貨ルーブルの暴落、インフレの激化などがロシアの経済社会を直撃し、市民も企業も外貨不足でパニックに陥った。
この初期の大打撃は、一旦、エリヴィラ・ナビウリナ総裁率いるロシア中銀による政策金利20%への引き上げという劇的な措置もあって沈静化した。しかし、今は再び、制裁の影響もあり、インフレ率が8.4%(2024年10月)と、目標の4%の倍以上に急騰。ロシア中銀は、2023年6月まで7.5%に下げていた政策金利を2024年10月25日に21%にまで引き上げた。こういった金利引き上げにもかかわらず、制裁の影響や原油先安観もあって、ルーブルの暴落は止まらず、2024年11月には一時、1ドル=114ルーブルを超えるまでの状況になった。
ロシアの歳入削減のためのエネルギー輸出に対する制裁も当初、かなり奏功し、欧州はロシアからの天然ガスの輸入を激減させた。しかし、ロシアはインドや中国などに輸出先をシフトし、収益減少を回避しようとした。
戦争を維持するためのロシアの収入を激減させる一方で、原油価格が高騰したり原油の調達が困難になったりしないようにする。この悩ましい問題にG7(と韓国や豪州といった友好国)が考案したのが、プライス・キャップなる新たな技だ。ロシア産原油に値段の上限を課し、これを超えた価格での取引を禁ずるという前代未聞の制裁のイノベーション。当初は、極めて複雑で特殊なエネルギー流通市場の実情を踏まえると、私自身、実施に自信はなかった。
しかし、数か月にわたる多国間の交渉、調整と、業界への説明により、実現に至った。これは米国のアデエモ副長官の粘り強い調整によるところが大きく、私も彼と10回以上交渉した。
その後も、ロシアによるインド等に対する輸出は続き、国際市場への原油の供給に問題はないが、価格が抑えられているため、ロシアの収入に大きな打撃を与えている。例えば、ロシア産原油価格(ウラル)と国際価格(ブレント)を比較すると、ロシア産が、時には40%安くなっていることもあり、プライス・キャップのせいで、ロシアはディスカウントを強いられてきている。
これに加え、最も強力に効いているのが、ロシアの軍産複合体への打撃である。金融制裁により、代金が払えないため、兵器、或いは、兵器の部品などの調達が極めて困難になっている。ロシアの攻撃により民間人に膨大な被害が生じているが、これは、人権無視の無差別攻撃のせいだけではなく、精密誘導兵器を生産できないからではないかとみられている。また、北朝鮮やイランから必死で軍事物資を調達しようとしている事実自体が、通常のルートでは輸入不可能になっていることを物語っている。
※本記事の全文は「文藝春秋」2025年2月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(神田眞人「戦時下のキーウ行夜行列車」)。記事全文(約1万2000字)では、下記の内容をお読みいただけます。
・何度も防空壕に避難した
・侵略前夜、金融インテルの情報
・米財務省との腹を割った議論
・制裁の抜け穴を防げ
・血税を使わず85億ドルを支援
・破壊者がまず弁償すべし
■連載「ミスター円、世界を駈ける」
第1回 ウクライナ、ガザ……そのとき国際金融の現場で何が起きたか
第2回 今回はこちら

【文藝春秋 目次】総力特集 トランプ帝国の逆襲 トランプ大統領の世界貿易戦争/山﨑努 食道がん体験報告/睡眠は最高のアンチエイジングⅢ
2025年2月号
2025年1月10日 発売
1200円(税込)