Mさんにとっては不満だったろうが、病院の処置が正しいのだ。行きすぎた行為は危険だからだ。

この病院では入院病棟での生活とリハビリは完全に分かれている。院内の看護師さんのレベルは国内でも最高クラスで、看護師の仕事に皆さんが誇りを持っていらした。

私も長い時間、色んな話や院内での不満を聞いてもらったりした。多分私の話は支離滅裂(しりめつれつ)で狂気めいていたと思う。この兎(と)にも角(かく)にも話し続ける、相手の話を聞かない症状は退院後もしばらく続いた。これもまた脳疾患の後遺症なのだった。

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Mさんは右側の利き手が麻痺で思うように動かない。足と違い手というものは、よくぞ神様は人間にこんな機能を与えたと思うくらい、肩から指先まで繊細に動く。だから損傷するとリハビリは想像を絶するぐらい困難である。料理人のMさんは調理ができるぐらいまで快復していたが、ある日、トマトと手がわからなくなったと笑っておられた。左手でトマトを切っていて、感覚のない右手も切ってしまったということだ。

リハビリの仕上げとしての街への外出

現在、回復期リハビリテーション病院に入院してリハビリを受けられるのは、脳血管疾患の場合、障害や後遺症の度合いによって最長150~180日(5〜6カ月)と国で決められている。何年か前までは期間は定められておらず、その人の症状によって日常生活を送るのに必要なリハビリも受けられたようである。

だが、今では何でも平均の数値をとり、法律で定められている。入院上限日数に達すると、まだ車椅子の人であっても否応なしに「卒業」なんて言葉を使われて退院しなければならない。そうなると自宅をバリアフリーに改築するしかない。本人にも家族にとっても酷なことである。

退院が近づいた最後の日々、リハビリの仕上げとして近くの最寄り駅まで療法士さんとバスに乗り街に出る。私も妻と三人で田園都市線・宮崎台駅の賑やかな駅前に行ったが、外に出られたという幸福感はなく、自分で思っていたような感慨はなかった。