「もっと、同じ病気で苦しんでリハビリを頑張っている人たちと交わればよいのに」

看護師さんたちにもよくそう言われていた。そこで私は自分の限界の幅を広げようと思い、同じ症状を抱えた人たちに交わり、彼らを、競う仲間、ライバルたちと位置づけて励まし合うようになっていった。精神的にはこのことが大きな意味を持っていた。自分一人の殻に閉じこもっていたリハビリが、展開力と想像力を持ち始めたのだ。

そこで見た、あるいは交わった人たち。それぞれの入院患者たちのドラマは一つひとつがリアルな生き様であった。それは現在の私の日常の考え、虚構の世界に向き合う原点ではないかと思うような体験であった。その人たち、病気に立ち向かうある意味での戦友たちのことを、この普通でない状態の中で、普通の人たちがもう一度日常生活を取り戻すための壮絶な「あの人たちの闘い」のことを、少し記したい。

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撮影=安保文子

リハビリの戦友Mさんとの出会い

Mさんは当時50代後半だった。自宅で倒れて2日間誰にも気づかれずにいたが、たまたま訪ねて来た友人に助けてもらい一命をとりとめた。私より2カ月前にこの病院に来てリハビリに励まれていた。

Mさんは青山にある店で料理の仕事をしていたが、病院で意識が戻った時はすでに1週間経っていて、倒れたことを店には連絡できなかったそうだ。この回復期の病院に転院して来た時は、手も足も動かなくて寝たきりだったが、凄い量のリハビリをこなされたらしい。私が入った時はもう杖なしで歩かれていて、「リハビリ次第でここまで……!」と妻と共に目標にした人だった。

約半年の入院中、Mさんを訪ねて来られた人は一人もいなかった。それまでも一人で暮らしていたらしく、どんなことをしてもこれからの人生を一人で生きていかねばという執念が彼にはあった。

手のリハビリは想像を絶するほど難しい

患者の多くは病院内で車椅子を使わない生活になるのが一つの目標なのだが、Mさんは車椅子から解放されると、夜になっても歩きのリハビリを繰り返された。すると病院側は、転倒などの危険から守るため、彼を車椅子の生活に戻し、規則で縛るようになった。