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「なんとかして今中慎二を打つ方法はないか?」10.8決戦前日、長嶋監督にそう聞かれた“伝説のスコアラー”の答え

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/06/15
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【文春野球巨人監督・菊地選手より推薦コメント】

 三井康浩さんは、長きにわたり巨人のデータ面を支えた「伝説のスコアラー」として知られます。2009年には侍ジャパンを率いた原辰徳監督に請われ、WBCのスコアラーも経験。かの名場面、韓国との決勝戦では打席に入るイチローに「この打席、僕は何狙えばいいですか?」と尋ねられ、「シンカーだけ狙っていこう」と伝え、最後は林昌勇のシンカーを打って決勝打にしたという逸話も残っています。今回は、そんな伝説のスコアラーに貴重な舞台裏を書いていただきました。

清原は右足から打席に入ると外角、左足から入ると内角を狙う

 文春野球コラムペナントレース読者のみなさま、はじめまして。三井康浩です。

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 私は1978年に巨人に入団した元選手ですが、腎臓疾患もあって1984年に現役引退しました。その後、球団に拾ってもらい2軍マネージャーを経て、巨人のスコアラーを22年間も務めました。

 スコアラーのメインの仕事は、試合を分析して他球団の詳細な情報を得ることです。メディアでは「007」などと取り上げられることもあるので、ご存知の方も多いでしょう。

 しかし、私がなりたての頃は、スコアラーの立ち位置は今ほど確立されていませんでした。その上、私自身のスコアラー歴が浅いこともあり、試合前のミーティングで私が対戦相手の対策を話しても、選手たちはなかなか話を聞いてくれません。

「どうして1軍経験のない人間に、ミーティングされなきゃいけないんだ?」

「相手チームに関しては戦ってる俺のほうがわかっているよ」

 口にこそ出しませんが、まるでそう言われているかのように、私の言葉は聞き入れられません。その選手たちの中には、もちろん原辰徳さんもいました。私にとっては3学年年上で、巨人軍の4番打者。まさに、雲の上の存在です。

 ミーティングのやり方に悩んだ私は、当時のチーフスコアラーだった小松俊広さんに悩みを相談しました。すると、小松さんは私を一喝。

「選手が話を聞かないようなミーティングをするお前が悪いんだ」

 その言葉で目が覚め、それ以来私は変わりました。「選手が知らないことを話そう」と心に決め、寝る間も惜しんで野球をより深く勉強し、観察するようになりました。首脳陣や選手から何か質問されたら、どんな些細なことでもすぐに答えられるように準備を重ねたのです。

 1994年――。ペナントレース最終戦で優勝が決まるという、球史に残る中日との「10.8決戦」では、試合前日に長嶋茂雄監督から「三井、なんとかして今中を打つ方法はないか?」と聞かれました。そこで、その日まで研究を重ねていた中日の先発投手・今中慎二のクセを伝えたのです。

10.8決戦で先発した中日・今中慎二 ©文藝春秋

 今中が振りかぶる際、グラブからのぞく左手首の見え方が球種によって違っていたのです。左手首が真っすぐ立っていればストレート、内側に曲がっていればカーブ、左手首が隠れていればフォークという具合です。映像を交えて詳細に説明すると、その場にいた当時の打撃コーチ・中畑清さんから「この試合、おまえが野手ミーティングをやってみないか?」と提案されたのです。

 10.8決戦は苦手にしていた今中から4回までに5点を奪い、巨人は見事リーグ優勝を果たします。翌年から長嶋監督に、「試合中もベンチに入って、選手たちに教えてやってくれ」と言われ、スコアラーとしてベンチに入るようになりました。スコアラーがベンチ入りするようになったのは、私が日本のプロ野球で初めてのケースだったはずです。

10・8決戦を制した長嶋巨人 ©文藝春秋

 事前にデータを頭に入れるのが好きな選手もいれば、そうではない選手もいます。たとえば、1997年にFA移籍してきた清原和博はデータよりも自分の感覚を大事にして打席に入りたい打者でした。

 それでもある時、不振だった清原が私にアドバイスを求めてきました。プレッシャーもあり本来の力を発揮できなかった清原は、わらにもすがる思いだったのでしょう。私はいくつか気になっていた部分を伝えました。

「フォークを1球見送った場合、2球続けられると必ず振ってしまっている」

「打席に右足から入るとアウトコース、左足から入るとインコースを狙う傾向がある」

 こうした部分は本人も意識していないので、清原ほどの打者でも興味を持って聞いてくれるのです。

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