予期せぬ大病に見舞われたとき、どのように人は回復するのだろうか。10年前に脳出血に襲われ、60代後半で初めてのリハビリテーションを経験した俳優の塩見三省さんは「なんとか歩けるようになっても、自分の頑張りだけではリハビリのモチベーションの維持に限界を感じるようになっていた」という――。

※本稿は、塩見三省『歌うように伝えたい』(ちくま文庫)の一部を再編集したものです。

ヨロヨロと初めてリハビリ室を出たあの日

最初の頃は、歩くのはリハビリ室の中だけで、基本的に院内の生活は車椅子であった。そして時間が経つにつれ、装具を着けてではあるが杖(つえ)をついて歩けるようになった。リハビリの部屋を出て、同じフロアの中庭を囲んだ回り廊下をゆっくりと歩いた。

ADVERTISEMENT

リハビリの時間が終了した夕方、療法士の許可を得て妻を頼りに、初めて軽いナイロン鞄を肩にかけ、ヨロヨロと1階の売店に買い物に行ったり、玄関を出て病院内の庭を少し歩いたのもよく覚えている。大きな進歩であり、リハビリ用語としての「獲得」であった。

それから、自分の足の型をとった専用の装具を作ってもらい、車椅子を使わずに時間をかけて初めてリハビリ室からエレベーターに乗り、2階の自分の部屋まで辿り着けるようになった頃には、倒れてから3カ月経っていた。しかし、左手はいくらリハビリをしてもピクリともしなかった。

運動神経の麻痺と、感覚に麻痺がある感覚障害の状態。この頃、看護師さんが薔薇(ばら)など匂いのする花を嗅がせてくれると嗅覚(きゅうかく)はあり、また左眼に目薬をさしてもらうと感触があり、眼の感覚が戻ってきたので、看護師さんや妻とも喜んだものだ。

展開力と想像力を持ち始めたリハビリ

視野狭窄(きょうさく)の症状も改善してきて、口元の歪みと発声は自分で鏡を見てリハビリができるので徐々に通常に戻ってきた。ただ左手の感覚は無いに等しい。

超スローで危ない感じであるが、なんとか歩けるようになった。そしてここからは自分の頑張りだけでは、モチベーションの維持と展開に限界を感じるようになっていた。