「早く立派な神主にならんとな」
―― 実家は神社じゃないですか。神社を継げみたいなことは言われてたんですか。
吉田 それはすごい昔から言われてましたね。子どもの時から。「早く立派な神主にならんとな」みたいなことを会う人会う人言われるし。だからそれが確かにでかいですね。「東京行かなかったら終わるな」みたいな。今もわりと言われてるんですけど、でも前よりはこっちのことを尊重してくれるから、「とりあえず両方できる仕組みを考えろ」みたいなことを親は言うようになりましたね。こっちはまだ今も「うん…、うん…」みたいな感じで、子どもの時からやってきた、なんとなく受け流すっていうのをやり続けてるんですけど(笑)。でも、どこかでちゃんと向き合わないといけないなと思っています。
―― 大学に入って、サークルに入ってバンドを組まれると思うんですけど、そのメンバーとはすぐに気が合ったんですか。
吉田 気が合うというか、新入生主体でバンドを組んでライブをするというイベントがサークルに入ってすぐあったんです。それで気が合う前に、この人かなぐらいな感じで声かけたんですけど、結果よかったと思っています。
『いいとも!』を観ているうちはまだマシ
―― 大学に入って観るテレビの種類は変わりました?
吉田 大学に入った時に、テレビがあったら1日中観ちゃうって思ってて、テレビを部屋に置かなかったんです。でも、途中で友達がテレビをくれるかなんかして、観るようになって。そうなると、昼起きたら『いいとも!』ですよね。やっぱ学校行く時間過ぎてるので、『いいとも!』観てちょっと「あっ」って思って(笑)。『いいとも!』だったらまだいいんですけど、3時とか4時までワイドショーとか再放送のドラマをなんとなくダラダラ観て、夜になって落ち込むみたいな日が結構多かったですね(笑)。
―― 『いいとも!』を観ているうちはまだマシだと。
吉田 そうです、まだ。3時になったらもう無理だ、みたいな。
―― もう4限も行けないという(笑)。その頃ってどこに住んでたんですか。
吉田 阿佐ヶ谷に住んでました。
――早稲田まで通学に時間はかかりますね。なんで阿佐ヶ谷にしたんですか?
吉田 最初は高田馬場に住んでたんですけど、ちょっと学校と距離があった方がいいなと思って、中央線の中野か高円寺とかで迷ってたんです。けど、ちょっとミーハーかな? みたいな、上京してちょっと経ってなんか変に意識し始めてたんですよね(笑)。それであえて阿佐ヶ谷くらいがいいんじゃないと思って住んでました。
―― 大学で最初3人でバンドを結成された時は、コピーをやっていたんですか?
吉田 最初からオリジナルでした。
―― 吉田さんが作られてた。
吉田 そうですね。作曲もしてました。
―― それは今に近い感じの作風ですか。
吉田 最初は何も考えてないというか。こんな感じかな? ってものをなんとなくやって、普通のフォークソングみたいな感じだったり、ロックンロールみたいな感じとか。今とは違いますね。