これで、黒羽がロシアのスパイに背乗りされているというウラが取れた。他人の旅券を勝手に更新したということで、旅券法違反で立件することになった。
妻にもスパイ教育
1997年7月、旅券法違反で黒羽の逮捕状が出される。これにより、練馬のマンションを家宅捜査すると、部屋の中から乱数表、短波ラジオ、換字表(普通の文章を暗号へと変換する表)などが発見される。モールス信号によって送られてくる数字を短波ラジオで受信し、乱数表を使って翻訳していたのである。
実は、1995年の発覚以後、警視庁は「黒羽」の日本人妻を24時間体制で監視していた。ウドヴィンも黒羽の住むマンション周辺で何度か目撃されている。そして、驚くべきことに、妻もスパイの教育を受けていた。
尾行する捜査員にある時点で気がついた彼女は隠しカメラで撮影しており、部屋の中には、捜査員の大量の顔写真があった。尾行技術に絶対的な自信を持っていた捜査員は、かなりショックを受けた。家宅捜査から二週間後、警視庁外事課はウドヴィンに事情聴取のための出頭を命じたが、無視して直ちに帰国してしまった。
結局、黒羽に背乗りしたスパイの名前もつかめなかった。本物の黒羽がどこへ行ったかも分からない。生きている可能性はもはやないだろうが、失踪時に殺害されたのか、それとも何らかの手段で失踪を知り、戸籍を奪ったのか、それすらわからない。
米兵を手玉に取った中国人スパイ
背乗りといえば、はるか昔の1950年代に、中国共産党も日本で使っていた。私が生まれる前の事件だが、劉香英事件というものが記録されている。横須賀に置かれている在日アメリカ海軍司令部のスパイ活動を、中国人が背乗りして行っていたのである。
米兵相手の「ロッキー」というバーでホステスをやっている、中川英子という女性がいた。若くてすれた感じのない彼女は、米兵たちの人気者だったらしい。完璧な日本語を使い、米兵には流暢な英語で話しかけていた。
ところがこの中川英子こそ、中国人スパイ・劉香英だった。本物の中川英子は、満州在住の日本人の娘だったが1952年に病死しており、中国共産党は女優を目指していた劉香英という女性を「中川英子」に仕立て上げたのだ。劉は、北京のスパイ訓練所で日本語や英語はもちろん、日本人の習性、護身術、変装術、拳銃の撃ち方、暗号の組み立て法などを学び、日本へやってきた。そして、バーで親しくなった多くの米兵と、肉体関係を持った。