“背乗り”したロシア人スパイ
人の心を手玉にとるような手法ばかりを使うわけではない。ゾッとする事件のひとつが、「黒羽・ウドヴィン事件」である。
これは、スパイが正体を隠すために実在する他人の身分・戸籍を乗っ取り、偽装して活動する“背乗り”という手法がとられた事件である。
事件のあらましはこうだ。1995年、アメリカのCIAから、黒羽一郎を名乗るロシアのスパイが、日本国内でアメリカの軍事情報、日本の産業情報を収集している、という極秘情報がもたらされる。
そこで、警察当局が黒羽という人物について徹底的に調査したところ、1930年福島県生まれで、母子家庭に育ち、成人してからは歯科技工士として生計を立てていた。28歳の時、耳の不自由な女性と同棲を始めたが、入籍はせず、しばらくのちには折り合いも悪くなっていたらしい。それから7年後の1965年、35歳のときに、黒羽は「友達と山に行く」とパートナーに言い残して、そのまま姿を消してしまった。
捜索願いが出されたが、当時警察は事件性なしと判断した。
ところが、である。事件発覚後に調査したところ、「黒羽」は翌1966年の冬、東京・赤坂の宝石会社に勤務し、真珠のセールスマンとして働きだしたのである。英語、ロシア語、スペイン語を操るやり手セールスマンで、得意先は各国の大使館。福島で暮らしていた歯科技工士の黒羽とは、まったく別人である。朝鮮系ロシア人の男が、失踪した歯科技工士の「黒羽一郎」になりすましたのだ。
この「黒羽」は、在日米軍の情報や、当時最先端の半導体情報、カメラのレンズ技術などを収集していた。都内を転々としていた「黒羽一郎」をサポートしていたのが、KGB(旧ソ連時代のソ連国家保安委員会)の諜報員だったウドヴィンだった。
「黒羽」を名乗るスパイは、情報提供がなされた1995年の時点で、すでに中国へ出国し、その後も海外で諜報活動をしていたのだが、97年、在オーストリア日本大使館でパスポートの更新手続きをする。このときに提出された顔写真は、福島で生活していた線が細く弱々しい黒羽とは全く違う別人のものだった。たくましい顎の、体格の良さそうな男だったのである。