2007年5月、突然の事故でこの世を去った歌手の坂井泉水さん(享年40)。多くの歌手と違って、マスメディア出演はほとんどしない――そんな異端の存在だったにもかかわらず、彼女の曲が多くの人々に愛された理由とは? 朝日新聞編集委員で、昨年10月に亡くなった小泉信一氏の新刊『スターの臨終』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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坂井泉水の歌がヒットした「時代の風景」
唐突かも知れないが、ノストラダムスの大予言によると、人類は「1997年7月に滅びる」とあり、それに向けて世の中全体がひた走っているようなムードすら私は感じた。もちろん、何も起きなかったし、人類は21世紀を迎え、今日に至っている。
1990年代後半は「TOMORROW」(作詞・岡本真夜ほか)、「Iʼm proud」(作詞・小室哲哉)など、前向きな生き方や励ましを訴える「前向きソング」が若者の心をとらえた時代でもあった。あのころのポップスのキーワードを「がんばれ」「大丈夫」「元気」の3つとみていたのが後述する作詞家の阿久悠だった。
「元気がない時に、元気という言葉を求めたくなる。『がんばれソング』に群がりながら、実のところ何をがんばっていいのか分からない。そんな現代の若者の姿を象徴している」(朝日新聞・1998年5月17日朝刊)
1970年代後半に大ヒットしたピンク・レディーの「UFO」や「ペッパー警部」とは決定的に違った。当時、高校生だった私は、歌詞の中にドラマを見つけ、そこにひたることを楽しんでいた。だが、阿久は「いまは、こういう曲を出しても売れないだろう」と生前お会いしたときに言っていた。「時代の飢餓感にボールをぶつける」ことを自分に課していた阿久。
1990年代の「がんばれソング」について本当はどう思っていたのだろう。
デビューから8年後、初めてファンの前に坂井が子宮頸がんを患っていたことが明らかになったのは、亡くなった後だった。全摘出手術を受けて回復の兆しを見せていたが、肺への転移が見つかり、入退院を繰り返していた。私も14年前から前立腺がんを患い、都内の病院で治療を受けている。