「醜い」「化け物」はダメだけど、「醜くないから大丈夫ですよ」も難しい
――言論や主張の内容を批判されるのはともかく、SNSでは人格否定も多いですよね。特に外見をけなすルッキズムや、女性であること自体を攻撃するジェンダー問題には根深いものがあります。
東野 私は「醜い」とか「化け物」とか容姿に関して書き込まれると、「容姿について言うのは止めませんか」「差別にあたるから言ってはダメですよ」と、否定します。
その一方で難しいのが、「醜くないから大丈夫ですよ」と言ってくれる人たちです。善意で言って下さるのは分かっていますけど、外見をジャッジしていることになってしまうので、その人たちにも「それもちょっとダメですよ」と言うしかない。かばったつもりが本人から「ダメ」と言われたら傷つくと思いますが、それを認めてしまうと、本当に醜い人には「醜い」と言っていいことになっちゃうので。
――女性であることそのものへの攻撃も根強いですよね。東野先生に「女に軍事の何が分かる」という人がいるのも見たことがあります。
東野 それはむちゃくちゃ言われますね。例えば「ウクライナがNATOに加盟することなく今の状態で停戦しても恒久的な平和は訪れない」と主張したら、「戦争大好き女」と叩かれ「ウクライナ人を皆殺しにしたいのか」とまで言われました。でも同じことを東大准教授の小泉悠さんが言うと「さすが軍事評論家」となるんですよ。少なくともその点については私と小泉さんの主張はほとんど同じだと思うのですが……。
――誰が言うか、で判断されることは確かに多いです。
東野 さらに一歩進むと、「自分の論評が受け入れられないのは女性だからだと思っているだろうが、そうではなく単純に性格が悪く頭が鈍いからだ」という中傷もあります。デマを流されたときも、それは批判ではなく誹謗中傷ですよと返答したら「女だからって被害者意識をまくしたてて、自分を擁護している」と。
たかまつさんも、言論空間ではやりにくさを感じているのでは?

