松井玲奈、悠木碧らが語る「ガンダム」
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の大胆な二部構成により、初期のテレビシリーズに改めて注目が集まっている。それはもちろん素晴らしいことであり、おそらく今回の新作はガンダムの歴史の中でも新たな一歩、いわばガンダム史の中でルネサンスを目指す作品になることは予想できる。その一方で、富野由悠季ではない監督たちによって作られてきたいわゆる「富野由悠季以外が作ったガンダム」もまた、その時代ごとの子供たちに言葉を与えてきたのだということは念を押しておきたい。
ガンダムの歴代映画で最高の興行収入を記録したのは、昨年公開された『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』である。興行収入50億という数字は、社会現象と言われた初期の最高記録を2倍近く塗り替えての記録だ。ヒットしたから正義だ、というのではなく、ガンダムシリーズの強みはそれぞれの時代に少年少女の心をつかみ、作品ごとに新規ファンを開拓してきたところにある。
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の公開日翌日、1月18日に放送された日本テレビの特番の中で、『SEED』ファンの代表として俳優の松井玲奈が出演した。番組としては「推しキャラで推し活しています」という文脈にまとめられてしまう構成の中で、SEEDのテーマや、中学生だった自分の世界に対する見方を変えてくれたことを少しでも語ろうとする姿が印象に残っている。
前述した『水星の魔女』でノレア・デュノクを演じた声優の悠木碧は自伝の中で、ガンダム00シリーズを見て大学の社会学部を受験することに決めた思い出を綴っている。『ククルス・ドアンの島』で安彦良和から指名されて副監督をつとめた韓国生まれの女性演出家イム・ガヒは、韓国で初めて見たガンダムが『Wガンダム』だったとインタビューで語る。
「青春だったと思うんですよね」と特番の中で松井玲奈がSEEDを振り返ってぽつりとつぶやいたように、ガンダムシリーズはどの時代も、一作一作がその時代の少年少女の青春を支え言葉を与えた、かけがえのない作品である。それが可能だったのは、富野由悠季が作ったガンダムというシステムが、その時代に翻弄される子供たちに届く言葉を拾い上げてきたからであり、誰の言葉でもコックピットに乗せることが可能な普遍的構造を持っていたからだ。
現実の政治と分離することはできない設定
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』もまた、同時代の少年少女に向き合う作品になるだろう。テレビシリーズの放送開始がいつになるのか、そもそもどういう形式になるのかすら現時点では発表されていない。ただ、映画公開中にハリウッドでの『機動戦士ガンダム』制作が発表されたのを見ても、おそらく世界の観客が見ることを前提にしたシリーズになるのは疑いようもない。
2月28日からは北米で映画公開も始まるとのことだが、「ジオンが勝った歴史の中で生きる少年少女」という設定は、右派の強烈な巻き返しが欧米政治を席巻する中にいる海外の観客にとって、ナチスが勝った世界を描くAmazon Primeのドラマ『高い城の男』と同じ強いメッセージを持った設定として受け止められる可能性がある。
ナチスを模した「ジーク・ジオン」の敬礼で知られるジオン公国は、現在はZEONと英語表記されるが、初期にはZIONというスペルで書かれていた。多くの歴史や政治の隠喩を作品の中に隠した富野監督が、ZIONISM(シオニズム)という言葉を知って架空の国家の名に使ったのではないか、と考察するファンは少なくない。『機動戦士ガンダム』シリーズは、富野由悠季による初期設定の段階から、現実について何かを考える契機になれ、という宿命を背負っている作品に思える。
冒頭で紹介した、吉田拓郎の『イメージの詩』の歌詞には続きがある。「なぜなら古い船も新しい船のように新しい海へ出る 古い水夫は知っているのさ 新しい海の怖さを」。
新作ガンダムを待つのは、世界市場という巨大で新しい海である。欧米のアニメファンの中でさえフィクションをめぐり政治的意見が真っ二つに割れて論争になる時代に、「こう作れば批判されない」という安全なセオリーはない。人気原作のアニメ化が主流のアニメ界でオリジナルの物語を作れる『ガンダム』シリーズには、いつも背中合わせのリスクがある。