富野由悠季は傷ついた心をモビルスーツにくるんだ
2019年、朝日新聞のインタビューで富野由悠季は父親について語っている。
僕は中学生の頃、父の当時の開発スケッチを見つけたんですが、そこには「潜水用空気袋」という記述が残っていました。聞くと「試作を命じられたものだ」って。米軍上陸を想定し、波打ち際に少年兵を潜ませて捨て身の突撃をさせるためのものでした。僕にとって「特攻」は神風のことじゃなく、もっと身近にあったものだった。
戦争で身内を亡くした友だちには絶対に話せない父の過去でした。
大学で学びながら徴兵逃れのために兵器開発に関わり、戦後は抜け殻のように息子とかかわろうとしなかった父。読者がこのインタビューを読んで、まるでアムロの父親、テム・レイのようだ、と息を飲むのは、富野由悠季が「絶対に話せない父の過去」を抱えた自分をアムロという少年に書き換え、傷ついた心をモビルスーツにくるんで言葉を与えたからだ。だからこそいつの時代も『機動戦士ガンダム』というコンテンツは、作り手の心と言葉をコックピットに差し出すことを要求するのだろう。たとえそれがどれほど危険なことであっても。
宇宙戦争と人工知能の開発に傾斜する世界は、まるでガンダムの世界に近づいているようにすら見える。どんなに努力しようと戦争や生成AIがすべての職業を吹き飛ばすかもしれないという社会不安の中で、それでも学校に通い勉強をしなくてはならない青春を過ごす世界中の子供たちは今、過去のどの時代よりもモビルスーツに乗った言葉を必要としているはずだ。
「戦え、と、ガンダムが言っている」新作映画の中で、謎めいた少年シュウジはそう繰り返す。『機動戦士ガンダム』シリーズは、今も昔も言葉のアニメである。ガンダムにおける戦いとは単なるパワーアップやアクションにとどまるものではなく、作品の中で異なる価値観が激突することを意味する。
新作の中では現代日本に近づけた風景設定の中で、「難民」「占領下」という言葉が登場する。自らを難民と語る少女の名ニャアンは、ベトナム語で『竜眼』という植物に由来する人名とも言われる。米津玄師や星街すいせいの歌が流れる中で少年少女の物語を語り始める鶴巻監督たち新作スタッフは、富野由悠季のガンダムを知らない世代、それどころかフリクリ、エヴァンゲリオンさえ見たことがないかもしれない今の子供たちにむけて自分の言葉を語る準備をしているように見える。
そこで何が語られるにせよ、世界中の観客が耳をすますだろう。その時ガンダムという古い船は、鶴巻監督ら新しい水夫によって、世界という新しい海に出航する。
