17日には、出張先の南アフリカから戻ったベレゾフスキーが、側近のゴールドファーブと一緒に見舞いにきた。リトビネンコに会うのは、発症直前に事務所で顔を合わせて以来だった。
あまりの変わりように、ベレゾフスキーは驚いた。リトビネンコは2人にこう言った。
「最初は死ぬかと思ったよ」
大量の水を飲んで胃を洗浄した様子などを語って聞かせた。
リトビネンコは頭をそり、オレンジ色の病院服を着ていた。2人に「まるでハーレクリシュナみたいだろ」と言った。
ハーレクリシュナとはインドの宗教家が設立した新興宗教団体、国際クリシュナ意識協会の通称である。ロンドンでは時折、大声で街を練り歩く信者たちの姿を目にする。みんな頭をそりあげ、オレンジ色の薄い服を着ている。リトビネンコには宗教家にたとえる余裕があった。
一方、ゴールドファーブは笑えなかった。食中毒にしては明らかにおかしかった。発症から2週間以上がたっている。食中毒がそれほど長引くはずはなかった。何かとんでもない事件が起きたのかもしれないと思った。リトビネンコは続けた。
「ここの医師たちに、ロシアの秘密情報機関に毒殺されかけたと説明しているんだ。だが、彼らは理解せず精神科医を呼ぼうとしたくらいだ」
そして、ゴールドファーブに持ちかけた。
「マスコミに取りあげてもらうには、どうしたらいいだろう」
毒物が検出されないとマスコミも動けない
ゴールドファーブはベレゾフスキーのメディア対応を担当していたため、ジャーナリストの知己が少なくなかった。
リトビネンコは自分でいくつかのメディアに連絡したが、「薬物が検出されない限り報道できない」と断られている。何らかの証拠がない限りメディアは動きそうになかった。
ゴールドファーブはまず、知り合いの毒物学者、ジョン・ヘンリーに連絡をとった。セントメアリーズ病院内のインペリアル・カレッジ・ロンドンの医学部教授で、テレビに映るユーシェンコの顔を見て、ダイオキシンによる影響を指摘した学者である。