『アーベド・サラーマの人生のある一日――パレスチナの物語』(ネイサン・スロール 著/宇丹貴代実 訳)筑摩書房

 この車社会では、交通事故は避け難く発生する。ときには子供たちが犠牲になることだってある。気の緩みや不運が重なり、被害者と加害者双方の人生が取り返しようもなく破壊されてしまう。それは本当にやりきれないことではあるけれど、もっとやりきれないのは、私たちがそうした事態にもはや慣れっこになってしまっていることだ。

 だけどその事故がヨルダン川西岸地区で起こったとなると、話は少し違ってくる。彼の地をめぐる特殊な政治状況のせいで、我々にとってすっかりお馴染みになったそのやりきれなさが何倍にも膨れ上がって襲いかかってくるのだ。

 2012年、パレスチナ人の幼稚園児を満載した遠足バスが燃えた。対向車線を走るセミトレーラーに衝突されたのだ。横転したスクールバスはたちまち炎に包まれ、人々の必死の救助活動もむなしく6名の園児と引率の先生ひとりが命を落とした。悲しくも腹立たしいのは、この悲劇の原因をたんに気の緩みと不運に求めるわけにはいかないということだ。目と鼻の先にイスラエルの救助隊がいたのに、いったいなぜ燃え盛るバスが30分以上も放置されたのか。園児たちが楽しみにしていた遠足の場所は、じつは幼稚園のすぐ近くにある娯楽施設だった。なのに、どうしてわざわざうんと遠回りをし、管理の行き届かない危険な道を行かねばならなかったのか。

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 2024年のピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞した本書は、基本的にパレスチナの側に立って書かれている。息子を亡くしたアーベド・サラーマ氏、スクールバスの運転手や救助にあたった人々、さらにはイスラエル側の政策立案者などの人生を追うことで占領地の現実を浮き彫りにする。しかし善悪という単純な二元論でパレスチナ問題を論じるのは、この根深い問題をさらにねじ曲げてしまう。アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズは「善」と「正義」を区別する重要性を説いた。紛争の当事者はそれぞれ己こそが「善」であると信じるが、対立するふたつの「善」を如何に調停し、妥協点を見出すかが「正義」であると。

 ロールズの提唱する「正義」など出る幕がないように思える。それほどまでに失われた園児たちの命は重く、愛する我が子を亡くした親たちの悲しみは深い。それだけではない。「エピローグ」で紹介されている、この事故に対するイスラエルの若者の反応には絶望的な怒りを覚える。そのうえで、2年間におよぶ丁寧な取材をつうじて本書をものした著者自身がユダヤ人だということは憶えておくべきだ。「イスラエルを批判するユダヤ人」としての難しさは如何ばかりだろう。それでも、彼はその確固たる一歩を踏み出した。それは間違いなく、紛争における妥協点や合意を模索しようとする「正義」の試みにほかならない。

Nathan Thrall/米国カリフォルニア州生まれ、エルサレム在住のジャーナリスト。世界の紛争予防のための調査・政策提言をおこなう非政府組織「国際危機グループ」に10年間在籍し、アラブ・イスラエルプロジェクトのディレクターも務めた。
 

ひがしやまあきら/1968年台湾生まれ。『路傍』で大藪春彦賞、『流』で直木賞、『僕が殺した人と僕を殺した人』で読売文学賞等を受賞。