逃亡した神父の行方

 ただ、『消えた神父、その後』によれば、1960年に向かったのはオーストラリアではなくカナダで、大学の講師や看護学校教師、教区司祭などを務めた後、カナダ東端の湾に面した港町セント・ジョンで、立ち寄る船員のための神父に。同市の教会の司祭を70歳まで務め、街の名士となった。日本での事件など知られるはずもなく、市内にはベルメルシュの名前が付いた劇場まであるという。

※写真はイメージ ©AFLO

 著者・大橋義輝は2014年、セント・ジョンで93歳になったベルメッシュ本人に面会している。『消えた神父、その後』と、その前に出された『消えた神父を追え!』(2014年)によると、元神父は「自分はがんでもうすぐ死ぬ」と言い、事件との関連は質問できないまま終わった。そして、面会から3年後の2017年3月、96歳でこの世を去ったという。

「週刊現代」(1974年5月16日号)が掲載した事件の「捜査報告書」には「カトリックの神父には清貧、貞潔(貞淑)、従順の厳しい戒律があるにもかかわらず」、事例を挙げて「道徳的にも許すまじき行為」や「神父としてあるまじき行為の数々、および、神父は婦人へ接近することが好きであった事実」とある。

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「週刊現代」が掲載した事件の「捜査報告書」

 状況からみても、被害者との関係は神父の供述通りとは考えられないが、殺人・死体遺棄に手を下したかどうかについては、真偽取り交ぜた情報が氾濫して決定的な証拠はない。事件は1974年3月、公訴時効となったが、これからも解かれることのない永遠の謎というしかない。

ついに時効に(毎日)

 振り返って、この事件は何だったのだろうと考える。事件捜査を担当した平塚八兵衛は「考えてみりゃあ、この事件も世間で騒いだ割には、何ともかっこのつかねえ結末になったな」と振り返った(『刑事一代』)。そこから引き出される見方としては、戦後の日本が犯罪のレベルで国際性に直面し、国際性を問われ、敗北した事例といえるのかもしれない。

国際基準とは言えなかった捜査

 事情聴取のやり方や所要時間を見ても、当時の警視庁の捜査方法は国際基準とは言えなかった。筆者は当時小学5年生だったが、「神父“国外逃亡”」のニュースを知った時の悔しさを覚えている。戦後14年、国際的な交渉をはじめ、幅広い分野での「近代性」で、欧米とは決定的に差があることを見せつけられ、「日本は遅れている」と痛感させられた。

 さらに、メディアが被害者のプライバシーに踏み込んで1つのストーリーを作り上げ、容疑者段階の人物の実名と写真をさらして報じるなど、事件で露呈した過剰報道とメディアスクラムの弊害は現在につながる。また、働く女性が圧倒的に増えたいまも、労働環境や世間一般の視線など、取り巻く環境にはさまざまな課題がある。事件は完全に過去のものとは片づけられない気がする。

【参考文献】
▽長尾三郎『週刊誌血風録』(講談社文庫、2004年)
▽山口みどり、中野嘉子編著『憧れの感情史』(作品社、2023年)
▽ジョン・A・ハードン編著『現代カトリック事典』(エンデルレ書店、1982年)
▽大橋義輝『消えた神父、その後』(共栄書房、2023年)
▽比留間英一『八兵衛捕物帖』(旺文社文庫、1985年)
▽佐々木嘉信著・産経新聞社編『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』(新潮文庫、2004年)
▽三枝佐枝子『女性編集者』(筑摩書房、1967年)
▽猪俣勝人『日本映画名作全史戦後編』(現代教養文庫、1974年)
▽大橋義輝『消えた神父を追え!』(共栄書房、2014年)

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