「スチュワーデス」という用語があった。現在は客室乗務員やキャビン・アテンダント(CA)などと呼ばれ、旅客航空便で接客する職員のことだが、戦後、飛行機旅行が一般化する前、それは職業女性の「トップレディー」とされ、あこがれの対象だった。

 今回取り上げる事件は、結果的にその用語を広めるのに一役買ったといえるのかもしれない。事件の印象を現在に伝える主な原動力は、全盛時代幕開けの週刊誌だった。それから66年、事件で露呈したさまざまな課題は解決したといえるのだろうか。

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の1回目/続きを読む)

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川に浮かんだ27歳スチュワーデスの遺体

 事件が起きたのは1959(昭和34)年。「60年安保」の前年で、自民党政権は安保改定に着々と手を打っていた一方、反対運動も表面化していた。事件1カ月後の4月には皇太子(現上皇)の結婚式が行われ、皇太子妃(現上皇后)が巻き起こす「ミッチーブーム」に国民の多くが熱狂した。

 事件が報じられたのは3月11日夕刊。新聞各紙で内容は微妙に違うが、記事量の多い朝日新聞(以下、朝日)を見よう。

スチュワーデス怪死 善福寺川で 他殺と見て捜査

 

 10日朝7時40分ごろ、杉並区大宮町1659先の善福寺川に浮いていた死体があり、高井戸署で調べたところ、世田谷区松原町4ノ384、BOAC(英国海外航空)*スチュワーデス、武川知子さん(27)と分かった。死因に疑いがあり、11日、慶応大法医学教室で司法解剖した結果、他殺の疑いが濃いため、同署は警視庁捜査一課の協力を得て捜査に乗り出した。
 

 船尾忠孝講師の解剖結果では、死んだのは10日午前5時ごろと推定され、死因は水死か、首を圧迫されて窒息死したかのどちらかだと分かった。船尾講師は首に内出血が認められたことから他殺ではないかと言っている。
 

 同署のこれまでの調べでは、武川さんは今年1月5日、BOACに採用された。今月8日、「教会とおじさんのところに行ってくる」と下宿先を出たが、どちらへも行かず、会社へも出勤しないまま、行方が分からなくなった。遺体は目立った外傷はなく、時計やハンドバッグなど所持品も全部付近で見つかった。乱暴された跡もない。しかし、これまでの身辺捜査で、武川さんが自殺するような動機が全く見つからないうえ、死因に不審な点があるとして捜査が始まった。

*BOAC=現在のブリティッシュ・エアウェイズ

「怪死」事件発生を報じる朝日

 記事は被害者の経歴に触れる。

 武川さんは兵庫県西宮市甲子園の武川はるさんの次女で、同市の聖心女学院を卒業後、上京。1953年、新宿区下落合の聖母病院看護養成所を卒業した。いったん神戸に帰って病院の看護婦をしていたが、1957年暮れ、再び上京。中野区鷺宮の乳児院「聖オディリアホーム」で保健婦*をしていた。

*引用者注=看護婦の誤り