山口みどり、中野嘉子編著「戦後日本の“スチュワーデス”」=『憧れの感情史』(2023年)所収=によれば、世界初の女性客室乗務員が誕生したのは1930年のアメリカ。日本でも戦前、国策会社が「エア・ガール」の名称で導入したが、戦争で「休業」に。戦後の1951(昭和26)年10月、日本航空が東京―福岡便で乗務を開始。

「女性の最も派手な職業」「あこがれ」

「第1号」となった女性は同年10月31日付毎日夕刊のコラムで、スチュワーデスを目指した動機を「何と申しましても、女性の最も派手な職業で、あこがれもありました。それにお給金が大変よろしいと聞きましたので」と語っている。

戦後スチュワーデス第1号の女性は毎日のコラムで取り上げられた

 外国の航空会社も次々採用を開始。1954(昭和29)年3月1日付読売朝刊の「女性職業への手引」も「数多い女性職業の中でも先端をいく、近代的職域の一つ」と紹介した。

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「週刊東京」4月4日号は当時のスチュワーデス観をまとめたような内容だ。要約すれば――。

〈1. スチュワーデスは誘惑の多い職業。容姿端麗、豊かな教養を買われて採用され、語学力も要求されるのでトップレディーぞろいと言っていい。誘惑の第一は交際を求める男性となって現れる。特に海外へ出た時が危ない。一般にスチュワーデスとの“情事”をうわさされるのは“飛行機族”といわれる一流バイヤーや商社員が多い。アメリカのある航空会社では、スチュワーデスの間で札付きバイヤーのブラックリストができている。彼女たちはトップレディーとしての自負と誇りがあり「私に限って大丈夫」と思っていて、そこにつけ込まれることもある〉

〈2. 海外航空会社のスチュワーデス勤務は比較的楽。現在日本人スチュワーデスを採用している外国航空会社は6社。給与は外国人スチュワーデスほどではないが、平均3万~5万円(現在の約17万~29万円)。男性なら官庁の課長クラスで“10年選手”並み。そうした待遇と経済的なゆとり、それと自分への過度の自信、それが時としてエアポケットを作り出す〉

※写真はイメージ ©AFLO

〈3. 愛欲と犯罪は背中合わせ。エアポケットに落ちたスチュワーデスが犯罪に巻き込まれた例も少なくない。昨年(1958年)夏、香港で交際する宝石商たちに頼まれてダイヤモンド、ヒスイなど2250万円(現在の約1億3000万円)相当を二重底の化粧ケースに入れて入国しようとしたカナダ航空のスチュワーデスが逮捕された。

 彼女はそれまでも「運搬係」をしており、謝礼は宝石1包みで300ドル(約10万8000円)=現在の約62万円=前後。逮捕されるまでに500万円(現在の約2900万円)近い謝礼を受け取っていたといわれる。うら若い身で法網をくぐる最大の理由は、やはり男女の微妙な心理を挙げなければなるまい〉

 相当飛躍した内容だが、スチュワーデスに対する当時の一般の視線を増幅させたものだろう。

捜査は暗礁に乗り上げたように見えたが…

 捜査は暗礁に乗り上げたように見え、ニュースは小さくなり、やがて新聞紙面から消えた。そして再び紙面をにぎわすようになるのは予想外のきっかけからだった。