帰国の理由は「疲労が甚だしいので」

 神父の離日は、サレジオ会管区長から「疲労が甚だしいので」との理由で新聞各社に通知があった。朝日は「外国人の出国を拒否する権限はない」との法務省入国管理局の談話を掲載。毎日には「まだ調べなければならないことが残っているので大変遺憾だ。神父の帰国は法的には問題にならないが、連絡もせずに出国したという点で道義的な責任が残る」という新井刑事部長のコメントが見えるが、全て“後の祭り”だった。

 6月13日付読売夕刊は、1面コラム「よみうり寸評」が「神父の突然の帰国には文句は言えないが、割り切れないものがある」と国民の心情を代弁したほか、偶然赴任途中で同じエールフランス機に乗り合わせた奥山達・外報部記者の「神父と一問一答」を社会面トップで掲載した。そこで神父は「帰国はサレジオ会の命令。私の病気と老齢の両親の見舞いを兼ねてのものだ。日本も日本人も好きで、できたら2~3カ月中に戻りたい」と話した。しかし、その言葉が現実になることはなかった。

読売は機内での記者と神父の一問一答を載せた

 6月18日には衆院法務委員会で社会党議員が入国管理局長らに経緯を質問。6月20日、高井戸署の捜査本部が解散した。

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「神父がシロかクロか」カトリック信徒からは擁護の声

 この前後、メディアでは「神父がシロかクロか」を中心に事件をめぐる論議が起きていた。「婦人公論」7月号では、カトリック信徒の作家・三浦朱門が「神父論」で「犯人でないと思うし、かつ私の想像が正しいことを願っている」が、「もし当の神父が事件に無関係なら、なぜ積極的に警察に援助しないのだろう」と疑問を投げ掛けた。

 同じ誌上で同じく信徒の劇作家・田中澄江は「ベルメルシュ神父さまとの四十五分」で直接面談した印象から「事実をまげた猥雑なペンの暴力にもめげず、澄んできれいな目の色であった」と潔白を確信したことをつづった。しかし、この面談に同行した当時「婦人公論」編集者の三枝佐枝子はのちに『女性編集者』(1967年)で「この目で神父の困惑の姿を見た。私は田中さんのように率直に神父のことばを信じることはできなかった」と書いている。

「世界」1959年8月号では、やはり信徒の作家・遠藤周作が「重要参考人がカトリックの司祭であり外人であったため、好奇心や興味がことさら強く働いたのだと思う」とし、真犯人のように実名を出して写真を掲載するメディアを批判した。