作業員さえ驚く長期断水
一方、反対側にある八世乃洞門新トンネル(はせのどうもん、722m)も入口が半ば埋もれたものの、半月後の応急工事で、片側車線が通れるようになった。このトンネルを抜けた先は輪島市のエリアだ。3月までに水道が復旧していた。
そこで、夫妻は輪島市の市施設で生活用水を給水させてもらうことにした。このためのタンクだったのだが、200リットルと言っても、トイレに流したり、洗い物をしたりすれば、すぐになくなってしまう。1~2日ごとに軽トラックで通わなければならなかった。
夫妻の自宅は埋もれた逢坂トンネルの近くにある。同トンネルには幹線道路の国道249号が通っていたことから、国交省が迂回路を建設していた。地震で隆起した海岸に仮設道路を造ったのだ。受注したゼネコンの現場事務所は夫妻の家の近くにあった。
そこで働く作業員に「まだ、断水しているんですか」とびっくりされることもあった。災害現場での経験が豊富で、被災地の状況に詳しい作業員さえ驚く長期断水だったのだ。
だが、夫妻は逆に作業員達のことを心配していた。
逢坂トンネルを通っていたケーブルが切断されて、真浦町では地上波のテレビが見られず、インターネットも使えなくなった。加えて、防災行政無線も地震で壊れていた。
「あんなにたくさんの人が働いているのに、防災行政無線が聞こえなかったら、災害発生時にどうするのか」
不安は現実のものとなる。
輪島市の人からの連絡
あの日、2024年9月21日。
「朝はやわやわとした、普通の雨でした」と、夫妻は振り返る。
午前8時頃に携帯電話が鳴った。地震後の真浦町では珠洲市の局番の固定電話がつながらなくなったが、携帯電話の電波は届いたのだ。
「避難しないとダメよ」
八世乃洞門新トンネルを抜けた先の輪島市の人からだった。
輪島市では午前7時22分に避難指示が出ていたのである。こちらは防災行政無線が聞こえた。地上波のテレビも見られたので、地元のニュースや天気予報が視聴できた。
「避難?」。夫妻は半信半疑ながらも、軽トラックで家を出た。




