雨でまた土嚢がずれ始めていた

 集落には避難する場所がない。八世乃洞門新トンネルを抜けて、輪島市側へ行くしかなく、輪島市の市施設に身を寄せようと考えた。

 ところが、八世乃洞門新トンネルの手前には、ダンプが2台止まっていた。仮設道路工事のダンプだ。トンネルが通れなくなったというのである。

地震後、応急工事で片側が通れるようになった国道249号。仮設道路工事のダンプが通過する(奥能登豪雨前に撮影) ©葉上 太郎

 地震で山がずれ落ちた時には、1トン入りの土嚢(どのう)を並べて、それ以上崩落が進まないよう応急工事がなされた。しかし、折からの雨でまたずれ始めたのだ。土嚢が押されて道路にはみ出していた。

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 仮設道路の建設現場から、ゼネコン関係者が駆けつけ、重機で土砂を取り除くなど、通行できるようにするための作業を始めた。だが、事態は改善しなかった。

ゼネコン関係者らと一緒に避難

 ダンプの後ろに並んで待っていた夫妻は、しばらくしてゼネコン関係者に声を掛けられた。

「ここにいたら危険です。避難した方がいいので、一緒に戻りましょう」

 夫妻は軽トラックを方向転換させた。が、既に道路が冠水していた。

 車では戻れないと諦め、近くの道路脇に駐車した。ダンプもバックして駐める。

 道路は泥水でつかり、歩くには怖かった。そこで、海岸に設けられた防潮堤の上をたどった。バランスを崩して海側に落ちれば、大ケガをしかねない高さだったが、他に方法がない。

72歳と66歳の夫妻はゼネコン関係者と一緒に細い防潮堤の上を歩いて戻った。その時はまだ土石流に流されて堆積した大木はなく、右に転落すれば大けがをするような高さだった(真浦町) ©葉上 太郎

 その頃には、雨がかなり激しくなっていた。午前10時を回っていたと記憶している。

身震いするような知らせ

 夫妻は家に帰らなかった。不安なので、ゼネコンの現場事務所に居させてもらった。

 しかし、ものの10分もしないうちに、「この事務所も浸水するかもしれない」とゼネコン関係者が言い出した。少し奥まったところにある別の事務所へ移る。

 ゼネコン関係者らは情報収集や大雨への対処で走り回った。

 軽トラックを置いてきた場所の状況把握もしていたようだ。

 夕方、「軽トラックが海に落ちていた」と知らせてくれた。

防潮堤の下の海に転落した72歳と66歳の夫妻の軽トラック ©葉上 太郎

「道路脇に駐車して戻った後、土石流に襲われて海に落ちたのだと思います。ホテル海楽荘が近かったので、池田さんが流された土石流かもしれません。もし、あのまま車内で待っていたら、私達の命もなかったでしょう。ゼネコンの人に救われました。軽トラックの運転席には土砂がいっぱい詰まっていたそうです」

 夫妻は今も思い出すだに身震いする。

 トンネルを通そうと作業していた重機も軽トラックの近くに落ちていた。どれほど激しい土石流だったか。