命懸けの帰宅

 その夜はゼネコンの現場事務所で明かした夫妻だが、夕方の明るいうちに一度、家に戻った。事務所には食べるものが何もなかったからだ。自宅にあったパンなどを事務所に持ち帰り、ゼネコン関係者らと少しずつ分け合って食べた。

 この帰宅時のわずかな移動も、実は命懸けだった。途中にある小さな川が岩や石で埋まり、道路の上をザーッと流れていたからだ。海楽荘の隣を流れる垂水川と違い、地図にも載っていないような川だ。

 夫妻は足を取られないよう、手をつないで恐る恐る渡った。

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小さな川が埋もれてあふれ、集落内道路に土砂が堆積した。72歳と66歳の夫妻は流されないよう手をつないで自宅に戻り、パンなどを持ち出してゼネコン関係者と分けて食べた(真浦町) ©葉上 太郎

真浦町からの脱出

 翌日の昼過ぎ、現場事務所に足止めされていたゼネコン関係者は、真浦町から徒歩で脱出すると決めた。

 作業員らが調査した結果、八世乃洞門新トンネルは内部に泥水がたまっているものの、輪島市側へ抜けられると分かったのだ。

「どうしますか」と誘われ、夫妻は同行することにした。

 その時、真浦町にいたのは、全22軒のうち夫妻の隣に住んでいた南逸郎区長(85)夫妻、そして土石流に流された池田さんの妻・真里子さんと息子だ。

 南区長夫妻は豪雨災害時に自宅にいて無事だった。声を掛けると、一緒に集落を出るという。

 真里子さんは、海へ流された池田さんが見つかっておらず、旅館の2階で非常食を食べながら、探し続けることにした。

周囲は山からの土砂が堆積していた

 八世乃洞門新トンネルまでの道は惨憺たる状況だった。

 地震による崩落で白い地肌が見えていた山は、さらに地肌が拡大したように見えた。

 バス停は、山から石や土砂が崩れ落ちてきて、周囲を埋めた。その近くにある集落の墓地も土石流に呑まれた。

真浦町のバス停留所は上から流れ落ちてきた土石や泥で周囲が埋もれていた(真浦町) ©葉上 太郎

 地震で隆起した真浦漁港は、山からの土砂でさらに埋まった。

 国道249号にも、岩や石、土砂、大木が堆積していた。

 よじ登るなどして、少しずつ歩く。

 ゼネコンの若手が荷物を持ってくれた。

 トンネルの中にはいると、言われていた通り腰まで泥水につかった。

 そうして、やっと輪島市側の市施設にたどりついた。

応急仮設住宅へ入った4人

 夫妻と南区長夫妻の4人は、ここに1カ月ほど身を寄せた後、珠洲市の応急仮設住宅へ入った。

「輪島市の仮設に入れてもらえたら自宅が近いのですが、市民じゃないので入れません。珠洲市でもかなり遠い地区の仮設しか空いていませんでした」と、72歳と66歳の夫妻は話す。

 真浦町と輪島市を結ぶ八世乃洞門新トンネルは、その後の応急工事でまた片側車線が通れるようになった。