命懸けの帰宅
その夜はゼネコンの現場事務所で明かした夫妻だが、夕方の明るいうちに一度、家に戻った。事務所には食べるものが何もなかったからだ。自宅にあったパンなどを事務所に持ち帰り、ゼネコン関係者らと少しずつ分け合って食べた。
この帰宅時のわずかな移動も、実は命懸けだった。途中にある小さな川が岩や石で埋まり、道路の上をザーッと流れていたからだ。海楽荘の隣を流れる垂水川と違い、地図にも載っていないような川だ。
夫妻は足を取られないよう、手をつないで恐る恐る渡った。
真浦町からの脱出
翌日の昼過ぎ、現場事務所に足止めされていたゼネコン関係者は、真浦町から徒歩で脱出すると決めた。
作業員らが調査した結果、八世乃洞門新トンネルは内部に泥水がたまっているものの、輪島市側へ抜けられると分かったのだ。
「どうしますか」と誘われ、夫妻は同行することにした。
その時、真浦町にいたのは、全22軒のうち夫妻の隣に住んでいた南逸郎区長(85)夫妻、そして土石流に流された池田さんの妻・真里子さんと息子だ。
南区長夫妻は豪雨災害時に自宅にいて無事だった。声を掛けると、一緒に集落を出るという。
真里子さんは、海へ流された池田さんが見つかっておらず、旅館の2階で非常食を食べながら、探し続けることにした。
周囲は山からの土砂が堆積していた
八世乃洞門新トンネルまでの道は惨憺たる状況だった。
地震による崩落で白い地肌が見えていた山は、さらに地肌が拡大したように見えた。
バス停は、山から石や土砂が崩れ落ちてきて、周囲を埋めた。その近くにある集落の墓地も土石流に呑まれた。
地震で隆起した真浦漁港は、山からの土砂でさらに埋まった。
国道249号にも、岩や石、土砂、大木が堆積していた。
よじ登るなどして、少しずつ歩く。
ゼネコンの若手が荷物を持ってくれた。
トンネルの中にはいると、言われていた通り腰まで泥水につかった。
そうして、やっと輪島市側の市施設にたどりついた。
応急仮設住宅へ入った4人
夫妻と南区長夫妻の4人は、ここに1カ月ほど身を寄せた後、珠洲市の応急仮設住宅へ入った。
「輪島市の仮設に入れてもらえたら自宅が近いのですが、市民じゃないので入れません。珠洲市でもかなり遠い地区の仮設しか空いていませんでした」と、72歳と66歳の夫妻は話す。
真浦町と輪島市を結ぶ八世乃洞門新トンネルは、その後の応急工事でまた片側車線が通れるようになった。




