珠洲市側の逢坂トンネルは相変わらず埋もれたままだが、隆起海岸を迂回する仮設道路が2024年の年末に完成した。ただ、海が荒れると波をかぶるので通行止めになる。他にも地震による迂回路に峠の難所があり、積雪や凍結が不安な冬期はなかなか帰れない。別の遠回りする道もありはするが、こちらは片道1時間以上かかるだけでなく、山地なので雪深い。
「なかなか家に行けません」と、寂しそうだった。
仮設住宅に入った後、1週間に1度は遠路の帰宅
真里子さんと息子も、2夫妻の近くの応急仮設住宅に入った。
そして、やはり真浦町との往復に苦労していた。ただ、帰らないわけにはいかない。泥に埋もれた旅館関係の書類を持ち出して整理しなければならないのだ。池田さんの遺骨も海楽荘の2階に置いてあり、「寂しがるから会いに行きたい」と言う。天気のいい日を見計らって、1週間に1度は帰宅してきたが、今冬は雪が多くて思うに任せない。
真里子さんは「明日が見えない」状態にある。
「奥能登の復興に寄与したい。お客さんの喜ぶ顔が見たい」とこだわった池田さんの遺志をつぎたくても、どうしていいか分からない。
そもそも、旅館の修繕工事をしてもらった大工に支払いが済んでいなかった。公費解体するにしても、工費がチャラになるわけではない。大工にも生活がある。それでも支払いを督促しないで待ってくれる気持ちがありがたい。
真浦町は復旧さえしていないのが現状
旅館の敷地内には、岩や土石、大木が大量に堆積している。土石流が残しただけでなく、埋もれた国道を通す時、重機で集められたものも多い。だが、市に「どうにかしてほしい」と訴えても、「自分で処理して」と言われた。
水道もいつ直るか分からない。
奥能登豪雨の直前の9月10日、住民の要望を受けた珠洲市が輪島市から仮設水道管を敷設する工事を始めた。しかし、豪雨による被災で工事そのものを、やり直さなければならなくなった。珠洲市は2025年の春から再開する方針だが、これだと地震の発生から1年3カ月以上断水が続くことになる。
これが真浦町の姿だ。
復興どころか、復旧さえしていない。そして先が見えない。
「道路が少し片づいたぐらいで、いつまで経ってもあまり変わらない」。真里子さんが嘆く。
その変わらなさが、「前に進まなければ」という気持ちを奪い取る。
撮影 葉上太郎
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