とても豪快で面白い男なのだが、若い頃から彼の周りにはいつもお金の話がつきまとっていた。お金が何よりも大好きで、そんな話ばかりしているから、儲け話やお金にまつわる噂話が彼のところにたくさん集まってくるのだ。寄ってくる人の中には当然危ない人たちもいたけれど、本人にはその選別がだんだんできなくなってしまっていたのだろう。
バブル時代から大きな会社を買い取ったり、人と人をつなげてお金を回収したり、株や土地の売り買いをしたりして、もういらないというほどしこたま儲けたと思う。
それでも彼は、「ほどほど」ではなく、「まだまだ」という魔物の声に取り憑かれていた。お金を追うことをやめられなくなっていたのかもしれない。最終的にその人は、とてつもなく大きく危なげな儲け話の中心を担い、ついには捕まってしまった。
お金を稼ぐということがマネーゲームのようになり、いつしかその規模が、自分でも気づかないうちに、国がからむほどの大きさになっていったのだと思う。世の中には、儲けにはならなくとも、世のためになることがたくさんある。ましてや、お金があるなら、それを使ってもっと人を助けることもできたはずだ。
彼は本来、悪い人間ではなかった。とても豪快で面白みのある男だったのに、いいことと悪いことの判別さえつかなくなってしまったことは残念でならない。そして、お金との付き合い方がおかしな人の周囲からは、いい人たちが次々と去っていく。
お金は使わずにいると、入ってこない
また一方で、世の中にとても多いのは、「ケチ」と呼ばれる種類のお金持ちだ。こんな先行き不透明な時代だから、ディフェンスに徹し、貯め込む人も多いのはわかる。でも僕は、こんな時代だからこそ、お金は回していかないといけないと思っている。タンスの中に隠し持っているのではなく、必要なときには気前よく差し出すのが潔さというものではないだろうか。
お金というのは、回り回って、最後は必ず自分に返ってくるものだ。動かさないと、お金は勢いを失う。不思議なことに、自分が使わずにいると、お金は入ってこなくなるのだ。