いくら大金持ちになっても、欲望をコントロールできなければ破滅の道をたどることも…。芸能人生70年、堺正章さんが見た「良いお金の使い方・悪い使い方」とは? 堺さんの新刊『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(飛鳥新社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「いくらで買った?」
クラシックカーの話となると、すぐそういうところに落とし所を持っていく人がいる。そのたびに僕はげんなりさせられる。値段の話に即座にスライドさせるなんて、行儀が悪いにもほどがある。こちらはせっかく素敵な「文化」の話をしているのに、それでは夢がだいなしになってしまうじゃないか。
お金との付き合い方で「人の本質」がわかる
お金との付き合い方には、その人の本質が表れる。バブル時代を経て、いろいろな人を見てきた僕が思うのは、世の中にはお金がもたらす落とし穴がたくさんあるということだ。そりゃあお金はたくさんあっても困ることはないけれど、ほどほどでいいのだ。そういう感覚を持たなければ、知らないうちにお金という魔物に支配され、気がつけば落とし穴にはまり込んでいることになる。そんなふうに、穴に落ちていく人を僕はたくさん見てきた。
バブル期には、銀行が誰にでもお金をがんがん貸しまくっていたから、「今ならすぐ10億借りられますよ」とか、「こんなおいしい話がありますよ」などと、さまざまな儲け話が飛び交っていた。実際、面白いように資産が膨らんでいったバブル成金のような人たちが、僕の周りにも大勢いたものだ。
ラスベガスのカジノをいくつも買い取ったり、LAやハワイのホテルのオーナーになったり、プライベートジェットや船を所有したりする人もたくさんいた。でもみんな社長になっただけで満足し、運営は現地に任せきりだったから、結局、長続きしなかった。本来は、買収後にいかに運営していくかがいちばん大切なのに。
僕は昔から資産運用の類が苦手で、その手の話に一切乗らなかったから、バブルが弾けたときもまったく影響を受けず、困ることは皆無だった。僕にとっての喜びは、純粋に努力して、自分の芸事を高みに上げていくことにほかならない。喜びはお金では得られないのだと思っている。だから、お金がすべての答えだと思っている周囲の不動産王のことを尊敬はできなかった。
これは内緒の話だが、巨額の資産を保有して本物のフィクサーのように振る舞っている超リッチな人々は、今では昔と違って表に出てこなくなり、水面下でひっそりと物事を動かしている。
ある人の話をしよう。