「お疲れ様でした。あなたは先輩として良き手本であり、悪しき手本でありました」――弔事では感謝の言葉を述べたことも…。タレントの堺正章さんにとって、内田裕也さんが「かけがえのない存在」だった理由とは? 2人の思い出を、堺さんの新刊『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(飛鳥新社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

2019年に亡くなったロックンローラーの内田裕也さん(画像:時事通信社)

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大好きな先輩・内田裕也さん

 銅像が立つような人だとはお世辞にも言えないのだが、個性豊かで、幅広い人脈があり、長きにわたって芸能界に尽力し、今の時代にも強烈なインパクトを残した人――。昭和の芸能界には、そういう凄みのある、ちょっと変だけれど素敵な人がたくさんいらした。その代表が、僕の大好きな先輩、内田裕也という人だ。

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 裕也さんが亡くなったとき、葬儀委員だった田邊さんと川村さんから弔辞を頼まれた。裕也さんを思って一生懸命内容を考えたけれど、葬儀の日、弔問に来ている人たちを見たら、泣くようなタイプの人はひとりもいない。ギリギリが好きな人、百戦錬磨の人ばかりだったから、いっそもう笑わせてやろうと咄嗟に頭を切り替えた。

 大好きな裕也さんの写真を見ながら、親しい僕だから言えるエピソードや戯言を交えながら話した。最初から最後まで、メモもなくその場で考えて話しただけだから、すべての内容はもう覚えていないが、こんな話をした。

「あるときあなたは僕にこう言いました。『堺、歌手として長生きするにはどうしたらいいか、わかるか? それは絶対にヒット曲を出さないことだ』と。そして、あなたは見事にそれを貫きました」

 そのときの裕也さんの助言は、まあ言いえて妙だったとも言えるし、間違っていたとも言える。そういうスタンスは、裕也さんだから許されていたというのも事実だ。

 弔辞の最後には僕なりの精一杯の感謝の言葉を捧げた。

「お疲れ様でした。あなたは先輩として良き手本であり、悪しき手本でありました」

 いつだったか、ホテルオークラの中華レストラン・桃花林で偶然会ったとき、あの静かな空間で、「おうっ、踊ろう」と、いきなり僕の手を取って踊りだそうとしたのにはびっくりさせられたものだ。店内の人たちはみな唖然として僕たちを見ていた。若い頃から晩年まで、一貫して面白い人だった。

 裕也さんは反骨精神にあふれた、本当にユニークな、唯一無二の人だった。そしていつでも僕に活を入れてくれる貴重な存在だった。

 ザ・スパイダースが解散して、僕がTVのバラエティに出始めた頃、局内の廊下ですれ違いざまにひとこと、「裏切り者っ!」と言われたことは、今も忘れられない。