咄嗟に「仮の姿で頑張ります」なんて答えたものの、裕也さんのひとことは実は恐ろしく真実で、本質をついていた。
ちょうど、ソロシンガーとしての初シングル『さらば恋人』を出した頃のことだった。それまではザ・スパイダースでロックをやっていたのに、その魂を放り出して歌謡曲を歌うのは、本音を言えばやや抵抗があった。そんな曲がビッグヒットになったのは皮肉なことでもあったが、結果的にソロでヒットを出せたことは心底嬉しかった。
でも裕也さんはきっと、「バラエティや芝居なんてせず、もっとお前のやりたい音楽に集中しろ。ちょろちょろするな」ということが言いたかったのだろう。そういう言いにくいことをズバッと言ってくれるまっすぐな人だった。
その一方で僕は、歌もトークもイケる器用なそぶりを見せて、そっちに種をまいていった。それが思いのほか大きく育ってしまい、僕はいつしかいわゆるマルチタレントのはしりのような感じになっていった。
裕也さんが愛され続ける理由
あるとき、『日本レコード大賞』の司会を、高橋圭三さんより長く16年も務めたということで、功労賞を頂くことになった。けれど、その賞を受け取る番組には、僕は心情的に出演できなかった。僕は歌う側の人間だったのに、賞の証しである盾をみんなの前で受け取ってしまったら、完璧にそっち側ではなくなってしまう。そんな気がして、盾を笑顔で受け取る気分にはどうしてもなれなかったのだ。盾は、あとで自宅にひっそり届けられた。
そんな盾や銅像に縁がなくたって、裕也さんは反骨精神を最後まで持ち続け、ロック魂を貫き、強烈な生き方をした。自分が納得できないことは決してしなかったし、彼なりの正義に沿って人生をまっとうし、誤解されても気にしなかった。だから、裕也さんを慕う人は各界に大勢いるし、お亡くなりになってもなお、愛され続けている。
そんなブレない芯のある生き方をした裕也さんに、また思い切り活を入れてほしいと思うときが今でもある。
