だからこそ、この旅では主観という殻を突き破って、自分というスペースの外に出てみるべきだったのだ。見たことも聞いたことも嗅いだことも味わったこともない世界で、殻の外から自分を覗いてみる必要があった。それはもしかしたら、山頂から雲と大地を見下ろすことや、宇宙から地球を眺めること、深い海の底から陽の光を見上げることと同じなのかもしれない。
僕にとってガンジス川は、人生で交わることなど絶対にない存在だった。しかし、インドでは毎日のようにそこで沐浴をしたり泳いだりする人たちがいる。きっと彼らは、僕にとって「ここではないどこか」への道先案内人だった。だからこそ、彼らの文化風習に基づいて、飛び込む必要があった。数多くの沐浴したことのない人からは「やめたほうがいい」と言われ、数少ない沐浴経験者からは「素晴らしい体験だからしたほうがいい」と言われた。心配してくれるありがたい言葉と、心をくすぐる冒険譚の間でずっと揺れていた。結果、そのどちらでもなく、自分の意思だけを尊重することにした。
「俺は今ガンジス川を泳いでいるんだ!」
罪深い僕を川は優しく受け止め、洗い流した。母の胎内から生まれて初めて産湯に浸かった時の感覚を、記憶ではなく身体が思い出していた。潔癖な過去も、体調を崩すかもしれない未来も、今この瞬間を流れる僕とガンジスの間では何の説得力も持たなかった。
「俺は今ガンジス川を泳いでいるんだ!」
とただワガママに、そんなことだけを考えていた。
さっぱりした表情の僕を見て、3人も爽やかな顔つきになっていた。入ろうかなとは言わなかったが、沐浴を終えた僕の姿に感動した様子だった。びしょ濡れの僕を汚いものとしては扱わず、タオルをかけたり飲み水をくれたりした。感謝を伝えると、口を揃えて、
「来てよかった」
と言ってくれた。それは、曇天の下でガンジス川に潜り、クロールで泳ぐ日本人を目撃した者にしか理解できない感情のはずだ。僕ら4人は元々知り合いではない。昨日の夜初めて会っただけで、素性もわからない。なのに、特別な何かを共有したと思う。
素晴らしい体験となったが、誰かにお薦めしようとは一切思わない。人の意見で沐浴をしようとするヤツにきっかけなど与えたくないからだ。僕は僕自身の決断と導きによって雄大なガンジスの流れの一部となったのだ。入る動機や理由なんていらない。入った者にしかわからない景色が確かにそこには存在した。
