別れてから初めてXに連絡を取った
妊娠8カ月を迎える頃、別れてから初めてXに連絡を取って、お腹に赤ちゃんがいることを報告する。Xはホアさんの体を気づかうような素振りを見せはしたが、ベトナムに帰って出産、子育てをするものと思い込んでいたようだ。自分には一切関係のないことと言わんばかりの振る舞いだった。
それから、Xとは連絡が取れなくなった。
医師や看護師にすら詳しい事情を話さない
8月初旬、ホアさんは個人病院の産婦人科を受診し、切迫早産の症状が見られたため、救急車で荒川区の東京女子医科大学東医療センター(2022年に足立区へ移転し、東京女子医科大学附属足立医療センターに改称)に搬送される。2日ほど入院した後、葛飾区の東京かつしか赤十字母子医療センターに転院した。荒川区役所の子育て支援課から私たちに連絡が来たのは、このタイミングだった。
東京かつしか赤十字母子医療センターで初めて会ったときの彼女は、私だけでなく、看護師やケースワーカー、区の職員など誰が話しかけても、一切目を合わせようとしなかった。人間不信、いや今思えば、日本人が信じられなくなっていたのかもしれない。区の職員から聞いた話を要約すると、次のようなことだった。
ホアさんは妊娠22週を過ぎているので、中期中絶手術を受けることはできない。出産する選択肢しか残されていないのは、本人も理解している。しかし、こちらがいくら質問しても、父親の名前は絶対に言おうとしない。唯一わかったのは、日本人男性であること。繰り返し、「自分では育てられないので、里子に出します」とだけ主張している―。
区の職員もケースワーカーも医療スタッフも、ベトナム人の頑固な妊婦に明らかに手を焼いていた。切迫早産で緊急入院に至ったのも、出産費用を稼ぐために身重の体で無理をしたのがたたったようだ。医師や看護師にすら詳しい事情を話さないため、何かしら問題を抱えているのかもしれないと推測した病院が、荒川区の子育て支援課に通報。なんとかして、このごく限られた情報を本人から聞き取ったのだった。