『他人屋のゆうれい』(王谷晶 著)朝日新聞出版

「初めての新聞連載。無事に完走することができてホッとしています」

 このたび、しんぶん赤旗での連載をまとめた新刊小説『他人屋のゆうれい』を上梓した王谷晶さんは、そう言って穏やかに微笑んだ。

 ありそうでない設定に、先が読めない展開でぐいぐいページを繰らせる“現代版長屋噺”。その舞台は東京の下町に立つマンション、メゾン・ド・ミルだ。独り者だった伯父が急逝し、空き部屋となった404号室に引っ越してきた大夢(ひろむ)を待っていたのは、ちょっと風変わりな隣人たちで――。

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「意識的にそうしたわけではなく、自分により身近な人たちを描いたという感覚です。私自身、正社員経験はないし、両親も自営業。そのせいか子どもの頃から一般的なサラリーマン世帯ではない人たちのほうが周りに多かったので……」

 主人公の大夢は派遣社員。今はコールセンターでクレーム係を務めている。亡くなった伯父は部屋のドアに〈他人屋〉の看板を掲げ、便利屋をやっていたらしい。向かいの部屋ではアラサーの小石川が〈BOOKS小石〉を開けている。伯父の仕事までは継いでいないのに、構わず用事を依頼してくる元・板前も登場する。

「中でも小石川は、連載時から人気のあるキャラクターでした」と、王谷さん。しかし、当の大夢による彼の印象は〈なんとなく苦手〉で〈気に食わない〉相手。何についても消極的で特に人付き合いが苦手な大夢には、小石川の性格やふるまいが全く理解できないのだ。

 そんな彼が営む書店も、やはり変わっている。〈誰かを排除・差別したり、ハラスメントをする方は、入店をお断りしています〉というパネルを掲げ、フェアトレードのコーヒーを供し、気候変動やLGBTQ+の本を平積みするような〈いわゆる、“意識高い”店〉。それを大夢から指摘されたあとのやりとりは、本作のクライマックスの一つだろう。小石川もまた、大夢とは異なる形で人との距離に悩んでいたことが明かされる重要なシーンである。

「“自分以外は全員他人”であることを、人は忘れてしまいがちです。相手への無理解も過干渉も、多くの場合、それが理由のように思います。でも、よくも悪くも相手は他人。そんな思いを〈他人屋〉の屋号に込めました。例えば、お金を払うことで気兼ねなく頼れる、そこにわずかに介在する優しさがちょうどいい。大夢は、できればあまり人と関わりたくないと思っていますが、それはまさに私自身の思いでもあって。存在を無視されたくはないし、ましてや攻撃されたくはないけれど、基本的にはほうっておいてほしいんです」

王谷晶さん

 それでもほうっておけないのが404号室に現れる“幽霊”の存在だ。さすがの大夢も、その正体を突き止めようと動き出す、というのが後半の読みどころ。

「私が作家として描きたいのは、普段は目立たず気にも留められないけれど、ふと小石をひっくり返してみたら、その下でひっそりと、でも確かに生きている……というような存在なんです」

 それが“幽霊”の正体? 正解は、ぜひご自身で読んでいただきたいが――。

「近年、マイノリティの連帯が盛んに叫ばれていて、それにどう関わったらいいのか当事者として悩む時もあるのですが、皆が皆、拳を振り上げて立ち上がる必要はないんじゃないかというのが私の考えです。大きな声を上げるわけではない、物語を通して大きな変化が起きるわけでもない。世の中そんなに甘くない。ただ、そんな生き方を受け止めて肯定する小説があってもいい。そう思っています」

おうたにあきら/1981年、東京都生まれ。2012年、ノベライズ作品でデビュー。18年、短編集『完璧じゃない、あたしたち』が話題に。21年『ババヤガの夜』が日本推理作家協会賞長編部門最終候補。ほかの著書に『君の六月は凍る』など。