経営統合に向けた交渉が破談となった日産とホンダ。3月11日には、日産の内田社長ら執行役がほぼ総退陣する人事を決め、今後はホンダとの経営統合を再協議するかが焦点だ。
そもそも日産とホンダのこれまで交渉では何が起きていたのか。その背景について、井上久男氏の寄稿「日産鈍感力社長にいら立つホンダ暴れ馬社長」(文藝春秋2025年3月号)から一部紹介します。
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安売りしないと売れない
日産の業績悪化が明らかになったのは11月7日だった。25年3月期決算の通期業績見通しで、最終利益を「未定」とし、事実上の下方修正をしたのだ。24年上半期の決算でも本業のもうけを示す営業利益が前年同期比90%減の329億円、最終利益が94%減の192億円にまで落ち込んだ。
この業績悪化は、構造的な問題に起因する。たとえば、日産が「ドル箱」とする北米での上半期の販売台数は前年同期比1%減にすぎない。しかし、北米地区での営業損益は2414億円の黒字から41億円の赤字に転落した。
日産ではカルロス・ゴーン氏がまだ経営トップに君臨していた10年代半ば以降、ゴーン氏がルノーと日産と三菱の3社の販売台数で「世界一の自動車連合」を目指すことを掲げ、インドやインドネシアなど新興国市場に新工場を建設。全世界で生産能力を増強したものの、消費者から評価される車作りが後回しになった結果、日産車は安売りしないと売れないブランドに転落した。
20年代初めは、コロナ禍や半導体不足で自動車メーカーの供給体制が整わなかったため、商品力がない日産車でも値引きなしで売れた。ところが各社の供給体制が整ってくると、消費者が選べるようになり、一気に日産車が売れなくなった。一部車種でローン金利を0%にするなど実質値引きをした結果、北米で赤字に転落したのだ。この現状を内田氏は「中核となる車種で期待した収益に届いていない。稼げる車がない」と説明した。
こうした事態を受けて、内田氏はグローバルで全社員の7%に当たる9000人、生産能力の20%をそれぞれ削減する(リストラして反転攻勢に出る)「ターンアラウンド計画」を示した。今後、構造改革費を特別損失として計上するため、「未定」とした最終損益は赤字に転落する可能性が高まった。
その後も、販売は持ち直す気配がないようで、「とうとう温厚な内田社長も11月の業績レビュー会議で、『なぜ台数が落ち続けるんだ』と声を荒げて周囲に八つ当たりしていた」(社内関係者)という。
12月23日の統合交渉入りの会見で三部氏が「経営統合を決めたわけではなく、これから議論を深めていく」と強調したのは、こうした日産側の事情があったからだ。