生理の時でさえも、店側は休ませてくれなかった。光子は腹痛のなか、カイロで腹を温めながら客を取っていたといい、「神よ、あなたは、妾共のこの苦るしみを見て下さらないのですか」と訴える。

からゆきさんやパンパンにも共通することだが、性病検診や性病の治療など、遊廓での生活は女性の体に非常に重い負担を与えていたことがわかる。しかし、店側は儲けを重視し、女性の負担や体調への配慮はほとんどなかった。

生活は過酷だったが、遊女同士で助け合うこともあった

山家悠平氏が論文「闘争の時代の余熱のなかで森光子『春駒日記』の描く吉原遊廓の日常風景」(2022年)でも指摘しているように、日記は、遊女の生活の苛酷さを訴える一方で、遊女同士の友情や、助け合う姿も描いている。

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先述した罰金のように、遊女たちが、店側への不満を語り合う場面は複数回登場し、現代の私たちの多くもイメージできるシチュエーションで、共感しやすい。不満は食事に関しても語られていた。冷めきった夕食について二人の遊女が「こんなに寒いのに、蒸かしたってよさそうなものに」「まったくだよ、腹の中が凍ってしまいそうだよ」などと言い合い、「馬鹿にしていらあ」と怒りを隠さなかった。光子はそのやりとりを聞いて、こうした境遇は仕方ないとあきらめてしまわない姿に「救われる気」がした、と明かす。

また、吉原病院に入院した際は、他の遊女のために薬をこっそり盗んで配り、自分の妹のように世話をやいていたある遊女のことや、光子が親しい遊女から心配する手紙をもらって涙したことなどに触れている。

男性客を取り合うライバルでもあるが、待遇改善のため共闘

もちろん妓楼では遊女は序列化され、売り上げを競わされるライバルでもある。実際、日記にも客の奪い合いでトラブルになる場面が何度も出てくる。たとえば、初めて店を訪れた客の相手をした遊女が、以降もその客の相手をするというのが習わしとなっているが、そのルールを破って、初訪問時は相手をしていない遊女が「自分の客」だと主張し、その後別の遊女が「私が最初に相手をした客だ」と訴えて嘘が発覚するといったケースだ。