そんななかでも、光子が遊女の身の上話を聞いて同情を寄せたり、恋の相談を受けたりしたエピソードがあり、他の遊女の存在が互いの癒やしや励みになっていたこともうかがえる。
自由廃業した光子の影響を受けたのだろう。光子がもっとも親しかった遊女の千代駒は、妓楼で同朋とストライキを敢行したことや、ついには遊廓を脱出したことを光子への手紙で報告している。
日記で紹介された千代駒の手紙では、ストライキについて、1926年12月25日の大正天皇の崩御から1週間、喪に服すため他の妓楼では休みにしていたのに、千代駒の店では休みでなかったことから、それに抗議してみなで相談し、店に出るのをやめた、としている。14人の遊女のうち、11人がストライキに参加したという。
遊女たちがストライキを起こし「シスターフッド」の先駆けにも
井上輝子ら編集『岩波女性学事典』(2002年)によると、日本で初めてのストライキは1886年、山梨県甲府の製糸場の女性労働者が起こしている。雇用主団体が工女取締規則をつくって労働条件を改悪し、労働強化したためだった。女性労働者100人余りが「雇主が酷な規則を設け妾等を苦しめるなら妾等も同盟しなければ不利益なり」とストライキに突入し、待遇改善を勝ち取ったという。
こうした遊女たちが助け合いやストライキなどへ共鳴していく姿は、私には「シスターフッド」の表出とも感じられる。
前掲『岩波女性学事典』によると、シスターフッドとは、女性同士の連帯・親密な結びつきを示す概念だ。1960~70年代の日本の「ウーマン・リブ運動」(女性解放運動)で掲げられたが、近年、女性たちが性被害を告発する#MeToo運動の高まりのなかで再び脚光を浴びている。ストリッパーの女性たちが結託し、リーマン・ショック下でも裕福な金融マンに詐欺をしかける米映画『ハスラーズ』(2019年)などが公開されたほか、日本の文芸誌『文藝』は2020年に「覚醒するシスターフッド」という特集を組み、話題になった。