渋谷という街は、いま一体どこへ向かおうとしているのか。女子高生のころ、安室奈美恵に憧れて渋谷へ足しげく通った社会学者の鈴木涼美さんが、渋谷を知る関係者たちに話を聞きながら、今一度論考する(前編が公開中)。
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開業当初のコンセプトは「山の手のヤングアダルト向け」
SHIBUYA109が現在のように、若い女性に特化したファッションビルになったのはそう昔の話ではない。開業当初のコンセプトは「山の手のヤングアダルト向け」の健全なビル。メンズフロアや飲食フロアはもちろんのこと、宝飾店や呉服店、ミセス向けのショップ、フォーマルドレスやスポーツ用品など、かなりジャンルの幅広い構成を持ったビルだった。私の最も古い記憶の中でも、109の中には大規模な書店や韓国料理店などが入居しており、すべてのフロアが若さと派手さと可愛さに溢れた現在のイメージとは程遠い。
「92年ごろからバブル崩壊に足並みを揃えるように、宝飾店や呉服店など、それまで月額1億円売り上げていたこともある高価格帯のお店などの業績が全体的に落ちたんです。そういうテナントさんが抜けていく一方、バブルが崩壊してもディスコで踊る若者たちがいなくなったわけではない。閉塞感のある大人世代とはまた別に、若い人たちが求める、トレンドでセクシーで価格の安い商品を扱うようになったのが、ちょうど時代とマッチしたんじゃないかな」
と、振り返るのは、運営会社であるSHIBUYA109エンタテイメントの木村知郎社長だ。バブル崩壊による大人向け店舗の撤退が、低価格で若々しいブランドを呼び込むきっかけとなり、結果的にはその柔軟性が、他の追随を許さないほどのギャルの聖地としての地位を作り上げて行く。当時から店舗入れ替えなどを現場で担当してきた同社マーケティング戦略事業部の中里研二さんはこう解説する。
「当時は、一般的な駅ビルに近い店舗構成でした。87年にできた109−②がどちらかというとティーンズなどに向けた展開をしていて、SHIBUYA109自体は、今よりかなり大人の層が利用できる形だったんです。テナントさんがどんどん退店して、自社で空いてしまった区画に店を開くなどもしていた92年ごろ、当時からB1にあったme Janeというお店だけが若い女性にとても人気だった。その路線を広げて行こうということで94年ごろに同じ階にLOVE BOATができ、そこから今の形に向けてスタートしたという感じです」
エゴイストの店員が福袋を客たちに放り投げて売っていた
me Janeは現在もB1に店を構える人気ブランドだが、まさに90年代後半の女子高生たちが大挙して訪れ、その店のショップバッグを体操着入れやサブバッグとして使うことが一つのステータスになったほど存在感のあるショップだった。その、ギャルの聖地としての109の草創期を支える2大店舗から、ビル全体が一気にギャルたちに占拠され出す。
エゴイスト、ココルル、カパルア、セシルマクビー、LB-03、マウジー、エスペランサ……。多くのブランドがギャルブームの風に乗って一気に全国区になり、109だけではなく郊外の駅ビルの中にまで店舗を構えるようになった。109でデビューし、ブランドイメージが育てられ、大きくなる。そこには、若者向けに特化したイメージを懸念する大手アパレルメーカーなどが109への出店を躊躇する中で、まだ小売をやっていないような小さなメーカーを取り込んでいった経緯がある。
資本力のない企業を高額な頭金なく誘致し、小さな区画で出店できる環境を整えた。それは、どれだけ見て回ってもまだまだたくさんのお店がある雰囲気を作り、いろんなものをちょっとずつ欲しい若い女の子たち特有の気分を高揚させ、個性豊かな小規模メーカーの作る多ジャンルの商品は個性豊かにはっちゃけたいギャルたちの好みにも一致していった。たった10坪の区画で、しかも内装を手作りで作っていたココルルが、ロゴ入りのメンズライクなデニムで大きなブームを巻き起こし、オープン翌年に1億4000万円以上の売り上げを作るなど、大きな嵐が巻き起こり出した。
中里さんは、当時の熱狂するギャルたちの光景を今でもよく覚えている。
「ギャルブーム全盛期の頃、代表的なブランドで、カリスマ店員ブームの火付け役にもなったエゴイストの月の売り上げは2億円を超えていました(1999年9月)。確か、2000年の初売りセールの時だったと思いますが、あまりのお客様の入りように、行列の整理が追いつかず、エゴイストの店員さんが福袋を離れた位置にいるお客様たちにポンポン放り投げて売っていたんです。さすがに私もちょっと叱りましたが」
ココルルの仕掛け人とエゴイストのカリスマ店員が共同で立ち上げて出店したブランドであるマウジーも、オープンから半年後に1億円の売り上げに届くようになる。大きな花火がいくつも上がった。