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“プリクラおじさん”ジミーちゃんが語る「僕が渋谷という街を離れた理由」

鈴木涼美が歩いた渋谷の20年(後編)

2018/06/17
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アド街の渋谷特集で2位に輝いた「ジミーちゃん」

 雑誌「egg」の発行部数は50万部となり、押切もえや宮下美恵など「カリスマギャル」たちが芸能人を凌ぐほどの人気を集めていた頃、明らかに若い女の子たちは時代を作っていた。そしてその頃からギャルたちを定点カメラのように見つめ続けてきた男性がいる。

 ジミーちゃんという愛称で広く知られ、かつてテレビ東京の人気番組「出没!アド街ック天国」の渋谷特集では忠犬ハチ公像に次いで2位に輝いたこともあるその人は、20年もの間、渋谷センター街のファーストキッチン前に立って、女子高生のプリクラや連絡先を集めていた。マーケティングや芸能プロダクションの新人開拓などに関わっていたというが、要するに、あんまり何をしているかよくわからない名物おじさんとして、多くのギャルたちの記憶に残っている。

 ギャルサー上がりの私の仕事仲間は、「ギャルには優しいけど、ギャル男にはほんと怖かったよ、よく喧嘩してた」と思い出し、Tは「私なんてアイス奢ってもらうほど親しかったんだから」と懐かしむ。変なサングラスをかけて、プリクラ帳を大量に持ち歩く、ちょっと小太りな怪しいおじさん。高校時代の友人と作っているLINEグループに彼のことを投稿した途端、「懐かしい!」「プリクラおじさん!」と矢継ぎ早に返信があった。

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 当の本人は現在、四谷の荒木町でバーを開いている。というのを最近知ったので、顔を出してみた。少し痩せて、サングラスをせずに小綺麗な格好でバーカウンターの後ろに立つジミーちゃんは、私の記憶の中の彼とは随分違う姿にはなっていたが、店内には所狭しと渋谷の女子高生のスナップや当時からそのままのプリクラ帳が並んでいて、ああ、ジミーちゃんのお店だ、と納得した。

「すごかったよ、確かに。女子高生の発信力、それから活気は。今みたいにネットとかSNSがなかったからっていうのもあるけど、みんな無防備に携帯番号とか書いていくの。で、とにかく街に集まってる。僕なんか、月収200万円もあったんだから。企業に女子高生の間で広めてって商品のプロモーション頼まれたり、マーケティング調査の人材紹介をしたり」

私たちが稼いで、使って、騒いで、疲れていくのを間近でひたすら見ていた

 相変わらず裏返ったようなフラフラした声の調子でまくし立てて喋るのは変わっていない。私も彼の持っている何万枚のプリクラのうち何枚かには写っているはずなのだが、さすがにそれを探すのはやめておいた。

「僕の前通って、ちょっと挨拶してブルセラにパンツ売りにいって、お金儲けて数時間後にまた帰ってくるの。荒れてたね、元気で可愛かったけど」

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 店内に貼られた写真には、当時人気を誇っていたカリスマギャルやタレントのものまである。彼はまさしく目撃者だった。私たちが稼いで、使って、騒いで、疲れていくのを間近でひたすら見ていた。マーケティングやプロモーションの仕事がどの程度の効果があったのか、そもそもどんな需要があったのか、女子高生の側だった私にはよくわからないが、そういったよくわからない存在が「アド街」の2位にいて、そして彼は少なくとも、渋谷なんてよくわからないといって遠ざける大人や、つまらない質問ばかりしてくるワイドショーのレポーターよりずっと正確に私たちの雰囲気を嗅ぎ取っていたのは間違いない。

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 そんな彼が、2010年代に入り、渋谷から去っていった理由が気になった。

「疲れちゃった、飽きちゃったっていうのが一番。子供の街に。それに今の女子高生、池袋とかそっちで遊んでるんじゃない?」

 そう言いながら彼は四谷に来てから知り合ったという馴染み客の持ってきたシャンパンを威勢よく開けた。