2/5ページ目
この記事を1ページ目から読む
伺ったのは13時を少し回ったくらい。途中で単独客が2名ほど入ってきてテーブルに座ったが、ランチタイムのピークは過ぎたようだ。ブラウン管(!)のテレビから流れるニュースの音声が、調理をする音と混ざり合う。
ほどなく登場した餃子はちょうどいいサイズ感で、香ばしそうなこげ目がついている。ニンニクの効き具合もほどよく、ビールがどんどん進んでしまう味だ。もちろん、次いで届いたブタ天やニラ玉子炒めも同じ。炒飯は味が濃すぎず、薄すぎもせず、ちょうどいいバランスだ。やっぱり間違いない店だったなと確信できたこともあり、一段落したように見えたタイミングで店主に声をかけてみた。
大手製薬会社から「みな儲けとるから、全然関係ない中華料理に行こう思って」転職
話してみれば店主の濵田憲一さんは、堅物どころか非常に気さくな方であった。年齢を尋ねたところ「77や」とのことだったが、動きが機敏であるせいか、もっと若く見える。生まれは淡路島だが、小学校に上がってからはずっと大阪。ここに店を開いたのは昭和54年だというから、西暦でいえば1979年。今年で47年目ということで、周辺ではいちばん古いらしい。
「もうあかんけど、やってるだけや。ほんまに」
意外だったのは、ここに至るプロセスである。社会に出てから大手製薬会社の事務職として働いていたものの、1年半くらいで辞めて料理の道を志したというのである。
それまで料理をやった経験は?
「ない、ない。わしら、その時分は中華料理の全盛時代で、どこでも中華料理屋がものすご流行っとったんよ。ほんでみな儲けとるから、全然関係ない中華料理に行こう思って」