「母譲りの波瀾万丈の人生を送ってきた。50代なら少しは落ち着くかと思いきや、一段と思いがけない展開の連続だ。なかでも、おそらく誰にとっても予想外の展開だったのがコロナのパンデミックであり、私の母もその犠牲になった」そう語るのは漫画家のヤマザキマリさん。
ヤマザキマリさんが母の死、人生を共に歩んだ愛猫の死を経て、仕事の仕方、夫婦の形が変化したことについて語ったインタビューを『週刊文春WOMAN2025春号』より、一部を抜粋の上紹介します。
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15年ほど遡るが、漫画家の私にとって最も大きな人生の転換を導いた波濤は、1匹の猫によって齎されたような気がしてならない。
「その猫は北朝鮮を経由しますか?」
「北朝鮮?」
「品物が北朝鮮を経由する場合、海外送金はできません」
旅先の沖縄の郵便局でこうしたやり取りの末、猫の代金をポルトガルのブリーダーに送金し、生後1年にも満たないベンガル猫の仔猫ベレンが我が家の一員になった。私が41歳、ポルトガルの首都リスボンに住んでいた当時のことだ。
その直後、マイナーな漫画雑誌で連載していた『テルマエ・ロマエ』を1冊にまとめたものが、担当編集者を含む大方の予想を裏切って増刷に次ぐ増刷を重ね、翌年にマンガ大賞と手塚治虫文化賞短編賞を同時受賞し鉄腕アトムのトロフィーをいただいた。阿部寛さんの主演で実写映画化も決まり、世界中で翻訳本が出版された。
このヒットを機に漫画連載のオファーが殺到し、毎月4~5本の締切に追われる私を、ベレンはいつも3メートルほど離れたところから眺めていた。
一方、比較文学研究者であるイタリア人の夫は、単身シカゴ大に赴任していたのだが、私たちも一緒にシカゴで暮らし始めると、「君はワーカホリックだ。日曜日も働くなんて、家族と仕事のどっちが大切なんだ?!」と、キリスト教的倫理に叛いた生き方をする私に何度もキレた。最後にはとうとう、滅多に怒ったことのない息子が「漫画をナメるな!」と夫を一喝してくれた。
私たち家族は私より14歳下の夫、その夫より14歳下の息子という、規則正しい年齢構成だ。私は35歳のときに子どもを連れて21歳の夫と結婚したのである。子連れでも初婚だ。