13歳のときにサハリンで終戦を迎え、引き揚げの末、標茶に落ち着いた89歳の橋本は、かつて役場に勤めて農業を担当、1960年代には町で最後の開拓係長を務め、多くの家族を支援していた。橋本の紹介といって本多に連絡をすると、すぐに時間をとってくれた。

「搾乳の時間は絶対電話しちゃいけない」酪農家の取材のイロハ

 ディレクターという仕事に就いて十数年が経つが、初めての地域を訪ね歩くのは、いまでも少し怖い。牧場は広く、母屋に辿りつくには、牛舎の横を通り抜けて敷地を歩かなければならない。気配に気付くと、牛たちは次々とこちらを見る。すると、穏やかなはずの乳牛でさえ、私に敵意を向けているように感じる。

 それまで、被害を受けた酪農家に電話をしたときに「忙しい」とすぐに切られてしまったり、「酪農家の皆さんは、取材を嫌がっていますから」と役場から言い含められたりしていたこともあり、本多の家を訪ねるときは、少々身構えていた。だが、実際に会った本多は、笑顔の絶えない好々爺だった。

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 本多には、酪農家の取材のイロハから教わった。たとえば、こんな会話があった。

「酪農家の家には、電話していい時間があるんだよ」

「いつなんですか?」

「あのね、酪農家は、1日2回、搾乳をするの。まず早朝4時くらいに起きて乳を搾って、餌を補充する。それが2~3時間くらいかかって、7時半くらいに朝ご飯を食べる。そのあとは、牛舎を掃除したりして、お昼を食べて、少し横になる。だいたい15時くらいには夕方の搾乳の準備が始まる。それが終わったら、夜ご飯を食べて、すぐに寝ちゃう人も多い。だから、11時30分から14時くらいに電話するといい。一番いいのはお昼のあと、13時。搾乳の時間は絶対電話しちゃいけない」

 本多のアドバイスは、その後の取材で絶大な効果を発揮した。ほとんどの酪農家が、本多のいうお昼過ぎに電話をかけると、落ち着いて話をしてくれた。かけるタイミングを理解していなかったから、すぐに電話を切られていたのだった。

 本多の妻、八重子が、その朝、搾ったばかりのミルクを出してくれた。草の匂いが香り、それでいて、ほんのり甘い牛乳を飲みながら、取材は続いた。私は、本多が口にする「畑」という言葉をきいて、「野菜もつくってるんですか?」と尋ねるほど、何も知らなかった。