酒井 米国は、硫黄島返還に際して「電波障害」の問題も懸念していました。当時の日本本土では、建物の高さや電気製品の使用に至るまで地域住民にさまざまな制約を課していて、米軍の通信施設と周辺地域の間で社会問題化していたからです。
先の真崎氏に「核戦略の要衝でなくなったのになぜ民間人の原則上陸禁止が続いているのか」と尋ねたところ、「おそらく自衛隊のレーダーではないか。レーダー基地の近くに人が自由に入れる状態は都合が悪い。日本人の自由な上陸を許せば、外国人の上陸も許すことになる」と。
いずれにしても、米国は硫黄島返還に際して、さまざまな規制で日本側を雁字搦(がんじがら)めにしています。
「戦時強制疎開」が今も続く
梯 硫黄島が担う軍事的役割の細かな部分は時代ごとに変わっても、島自体が“日米の軍事基地”と化していて、米軍にも自衛隊にも、「住民不在」が都合が良い、という点では一貫しているわけですね。
酒井 まさにそうです。その意味で「硫黄島は人の住めない地獄の島だ」と伝えてきたメディアが、結果的に軍事基地化を許してきたのだと思います。
梯 そもそも硫黄島の島民を島外に避難させたのは栗林中将です。当時としては、島民を守るための最善の判断だったと思いますが、その島民が島に戻れなかった戦後の歴史を思うと、複雑な気持ちになります。
酒井 島民を疎開させたのは栗林中将の英断だったと思います。戦闘だけでなく島民避難のシーンも描いているのは『硫黄島からの手紙』の素晴らしい点で、これも梯さんの御本の影響ではないですか。
しかし「戦時の島民疎開」と「戦後の島民未帰還問題」は別問題です。その意味で、硫黄島は“戦後未処理の象徴”のような島だと思います。
梯 戦時中の「強制疎開」がいまだに解除されていないわけですね。
※本記事の全文(約7400字)は月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と、「文藝春秋」2025年4月号に掲載されています(梯久美子、酒井聡平「硫黄島の戦い 80年目の天皇行幸」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
「外国」と勘違いされた硫黄島
ハードルが高い硫黄島上陸
米軍にとっての“聖地”
天皇皇后の硫黄島訪問
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