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代表13 試合ノーゴールの記憶

増島 当時、森島選手は日本では非常に新しいタイプのフットボールマンでした。とても小柄で、むしろ華奢といえるような体型でしたがとにかく走る。ものすごい運動量をこなす選手でした。いまはこうですけど(笑、お腹の前で弧を描くジェスチャー)。

 嘉人選手は、2002年の日韓W杯のあと、2003年に日本代表に初めて選ばれましたが、当時はどんな気持ちでしたか。

©JMPA

大久保 嬉しすぎて、その気持ちを誰にぶつけていいかわからなかった。とりあえず父親に電話したのですが、父はすごく冷静で。「これからだぞ」なんて逆に熱を冷まさせられましたね(笑)。

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増島 嘉人選手を起用したのはジーコ監督でしたね。ジーコの監督としてのひとつの価値観は「一度選んだ代表を絶対に落とさない」というものでした。逆にいえば、それほど代表の選抜を吟味していた。そんななかで嘉人選手が選ばれました。ところが嘉人選手は負の金字塔ともいえる、代表13試合ノーゴール(2003年)という記録をつくってしまうんですね。

大久保 今だったら焦りますね(笑)。でも当時は焦りや不安はあまり感じていなかった。代表初ゴールはパラグアイ戦だったかな。でもそれオフサイドになるんです。そこから地獄の13試合。

ジーコからかけられた言葉は「顔をあげろ」

増島 そんな状態をジーコは監督として記者に責められるわけです。当然世論も嘉人選手の起用を疑問視していた。ですが、ジーコは頑なに嘉人選手を使い続けました。彼にどんな意図があったかはわかりませんが、あとになって思うと監督自身も自分の過ちを認めたくなかったのかなと思います(笑)。

 ほかにも前半18分で退場したこともありましたね。がっくりと落ち込んでベンチに戻る姿が印象的でした。全身から謝罪のオーラが漂っていた。そこでジーコに声をかけられるのですが、何を言われたか覚えていますか。

大久保 それが覚えていないんですよ(笑)。頭のなかが真っ白でとにかく優しくハグしてくれたことだけは覚えている。

©文藝春秋

増島 あの時、落ち込む嘉人選手の顎をくっと押さえて、ジーコがかけた言葉は「顔をあげろ」。優しく声をかけたあとのジーコは鬼の形相で、ピッチに残る選手に向かって「1・5倍走れ!」と活を入れます。まだ前半17分ですからね、1人減ったとはいえ無茶な命令です。そんな嘉人選手にとって日本代表とはどんな場所でしたか。