「声をかけてくるのは、2軍以下の選手でしたね。トップ選手はやっぱりそのあたりは気をつけなきゃいけないし……。そうそう、海外の選手にも声かけられたことがあります」
セクシー女優になる前は、「東スポ」でお馴染みの東京スポーツ新聞社で働いていた澁谷果歩さん。彼女はそこでどんな仕事をしていたのか? 大谷翔平を取材したときの思い出とは? 文筆家の寺井広樹氏の『高学歴AV女優』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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大谷翔平取材の思い出
――卒業後は東京スポーツ新聞社に就職されたんですね。大学時代には読売新聞でインターンシップをされてたとか。
澁谷 読売は自己紹介で、「自分の記事で社会を変えたいです」みたいなことをガチで言う人が多くて。意識高い系っていうんですか。それを見て、ああ、私には絶対に合わないなと。それで東スポに行きました。
――プロレス好きだから東スポっていうのもあったんですか。
澁谷 それも売りになるかなとは思いましたけど、正直、就職して何をやりたいとか明確な目標はなかったですね。一般企業に就職をしたら、その会社やその業界のことしか見られません。でも、マスコミならいろんな世界を見られるんじゃないかと思って。まずはいろんな業界に触れて、また改めて身の振り方を考えようくらいの気持ちでしたね。
――東スポでの仕事はいかがでしたか。
澁谷 入社して3か月くらいは研修があって、最初は校閲部と整理部というところで内勤していました。そのあとは、記者として千葉ロッテや西武を中心に野球の取材を。記者時代の最後のほうは日本ハムを一部任されていたので、大谷翔平選手の取材もしましたね。
――当時のスポーツ新聞で、おそらく澁谷さんについて書いた記事があったんです。記事によると、大谷翔平選手の隣にピタッと張り付く小柄な美しい女性記者がいたと。ピンクのスポーツウェアに黒のタイツを着用と書いてありました。

