東京・新宿の「トー横」や大阪・「グリ下」に集まる少女らの売春が社会問題になっている。親の暴力や虐待から逃れ、居場所を求めたすえ、ホストクラブへの支払いや食費・宿泊費のために体を売るのだという。
いまから80年近く前、敗戦後の荒廃して貧しい時代に、同じように売春をして暮らしていた女性たちがいた。彼女らは総称して「パンパン」と呼ばれた。彼女たちがそんな境遇になったのにはさまざまな要因があったが、多くは戦争によって人生を狂わされた人たち。その姿は国そのものを象徴していたように思える。時代の中での彼女たちの存在はどんな意味を持っていたのだろう。
当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の2回目/続きを読む)
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「パンパン 第二次世界大戦後、まちかどで客を引いた売春婦」。『新明解国語辞典第六版』(2004年)にはこうある。街娼はいつの時代、どの地域にもいたといわれるが、敗戦直後の日本でのその数は異常だっただろう。
「パンパン」の語源には諸説あり、定かではない。『戦後史大事典:1945-2004増補新版』(2005年)は1. 大日本帝国海軍の水兵が上陸して売春宿の戸をたたく音、2. 戦時中の「仏印」(現在のベトナムなど)で現地の女性が日本兵に「パン、パン」と物乞いをした――などを紹介している。
雑誌「座談」1949年5月号に掲載された作家、神崎清の「パンパン語源考 サイパン島が発祥地」によると、第一次世界大戦で日本軍がドイツ領のマーシャル群島サイパン島に上陸。女を求めた水兵がヤシの葉陰で手をパンパンたたくと、現地の女性がやってきた。同島が日本の委任統治領になって日本人女性が「娘子軍」として来てからは、彼女たちの呼び名に。サイパンには「パンパン坂」と呼ばれる坂もあったという。
「一面の焼け野原の東京に、アダ花のようにして街娼が出現したのはRAA慰安婦たちが放り出される少し前であった。家を失い、家族を失い、職のない女たちにとって、その日泊まる宿さえ確保するのは大変なことであった。男が食えなくなれば強盗をやるか泥棒になるしかない時代である。女が食えなくなると肉体を武器に“春を売る”ことになるのも、また自然の成り行きだった」(高橋和夫「闇の女たち」=猪野健治編『東京闇市興亡史』〔1978年〕所収)

