戦時中に膨れ上がった軍事産業が敗戦で完全に生産を停止。1000万人ともいわれる膨大な失業者が出現した。家族や職を失い、食に苦しむ女性たちが街にあふれ出た。
『昭和20年 1945年 最新資料を基に徹底検証する』(藤原彰ら責任編集、1995年)は「中でも過酷な立場に置かれたのは、夫が戦地から帰ってこなかった女性たちだった。国は、国によって伴侶を奪われた女性に対して極めて冷淡であった」と指摘する。
「全員アメリカ兵に強姦される」とパニックに
RAAとは「特殊慰安施設協会」のこと。「国家権力をバックにした売春独占企業」(真壁昊「生贄にされた七万人の娘たち」=『東京闇市興亡史』所収)であり、アメリカ人ジャーナリストたちは「世界最大の売春トラスト」と位置付けた。
敗戦直後、占領軍の上陸を女性の「貞操の危機」とする言説が広がり、国民をパニックに陥れた。「女は全員アメリカ兵に強姦される」という俗説だ。
日本女性の“性の防波堤”
政府の対応は早かった。昭和天皇の玉音放送の2日後、1945年8月17日に皇族による東久邇宮稔彦内閣が発足したが、その翌18日、内務省警保局は占領軍専用の性的慰安施設などを求める文書を通達した。
警視庁が料理飲食業組合などの団体を招集。保安課長が「婦女子の安全を図るには防波堤となるものが必要だ。なんとか力を貸してもらいたい。当局もできるだけの援助と便宜を与えるつもりだ」と懇請した(同書)。
「官が民間に委託してRAAのような組織を作って(売春を)やらせるというのは、世界に類を見ないのではないか」と上野昂志『戦後60年』(2005年)。
26日にRAAが正式設立。小林大治郎・村瀬明『国家売春命令物語』(1971年)によれば、早くも同じ日に女性約30人が送り込まれ、アメリカの先遣部隊が日本に到着した28日から大井・鈴ヶ森の料亭「小町園」で性的慰安所1号店の営業が始まった。日本女性の“性の防波堤”という触れ込みだった。
