開店と同時に兵隊たちが“突撃”、「23人もの相手を」

 開店と同時に、ジープが小町園を取り囲み、兵隊たちは一種異様なトキの声をあげて“突撃”してきた。彼らは京浜国道に続々と列を作り、それぞれ百円札を握りしめ、目をギラギラと血走らせていた。

 

 中でも黒人兵は赤黒い舌をペロペロさせながら土足で上がり込み、相手に決まった女をいきなり小脇に抱えて(一つの部屋を屏風で仕切っただけの)“割り部屋”に入っていくすさまじさだった。女たちは恐ろしがって泣き出し、柱にしがみついて動かない者も現れた。

=(『国家売春命令物語』)

「ショートタイム」専門で、料金は1回30円(1945年時点=現在の約4700円)。女性の取り分はその半分だったという。こんな証言もある。「午後になり、店を閉めて遅い昼食をとった時は体中が痛くて……。おなかがひどくうづく。後で聞くと23人もの相手をしていました」(「生贄にされた七万人の娘たち」)

「詔書渙發(発)・降伏文書に調印」の見出しで、前日の東京湾のアメリカ戦艦ミズーリ艦上での降伏調印式を報じた9月3日付毎日1面下に「急告」という囲み広告が見える。

「特別女子従業員 募集 衣食住及高給支給 前借二モ応ズ 地方ヨリノ応募者二ハ 旅費ヲ支給ス 東京都京橋区(現中央区)銀座七ノ一 特殊慰安施設協会 電話銀座九一九 二二八二番」

「特別女子従業員募集」のRAA広告(毎日)

『国家売春命令物語』によれば、銀座などに次のように書かれた大看板が掲げられた。「新日本女性に告ぐ。戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む」。

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 福島鑄郎「性の防波堤R・A・A」(「歴史読本」1980年8月号「戦後35年特集 ドキュメント戦後秘話」所収)はRAA創立当時の慰安施設の一覧を載せている。うち、キャバレーを兼ねた所も含めた売春施設は京浜(大井・大森)10カ所、品川・芝浦1カ所、向島・小岩2カ所、板橋・赤羽1カ所、多摩地区6カ所。

 しかし、アメリカ兵の間で性病が蔓延して一向に止まらないことから、GHQは1946年1月24日、「公娼廃止令」を出して3月10日、RAA全施設への立ち入りを禁止した。女性を中心にしたアメリカ本国の世論に配慮したともいわれる。

 RAAはやがて解散。半年余りの間に施設に入った女性約7万人のうち、死亡したり麻薬で廃人になったり、性病がひどくなって追い出されたりした約1万5000人を除く約5万5000人が「赤線」(吉原などの公認売春地域)や「青線」(非公認の売春地域)、アメリカ軍人専属の「オンリー」、そして「パンパン」に流れていった。

次の記事に続く 「知らない男がおにぎりを持って…」21歳元看護師が「闇の女に転落した」理由〈戦後を生きた“パンパン”たちの声は…〉

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