東京・新宿の「トー横」や大阪・「グリ下」に集まる少女らの売春が社会問題になっている。親の暴力や虐待から逃れ、居場所を求めたすえ、ホストクラブへの支払いや食費・宿泊費のために体を売るのだという。

 いまから80年近く前、敗戦後の荒廃して貧しい時代に、同じように売春をして暮らしていた女性たちがいた。彼女らは総称して「パンパン」と呼ばれた。彼女たちがそんな境遇になったのにはさまざまな要因があったが、多くは戦争によって人生を狂わされた人たち。その姿は国そのものを象徴していたように思える。時代の中での彼女たちの存在はどんな意味を持っていたのだろう。

「有楽町ガード下の『夜の女』」とされる戦後史の代表的な写真(「歴史読本」より)

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の3回目/はじめから読む)

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若い女性たちを一斉検挙

「自由を履き違へ(え)た 『夜の女』を大檢擧(検挙) まづ(ず)十八名を槍玉に」。こんな見出しを社会面トップに立てたのは1946年1月30日付朝日。「公娼廃止令」を受けた「パンパンの狩り込み」第1弾だった。

「(東京都)麹町区(現千代田区)を中心とする18名の若い女性たちを28日午後10時、警視庁で一斉検挙」という書き出しで18人の名前を列挙。「いずれも街頭などで昨年12月初旬以来、風紀を乱していたもので、彼女らの前身は大半が事務員とダンサーである」と書き、うち数人の事情に触れている。

初の「パンパン刈り込み」を報じる毎日

▽御徒町駅付近の某食料品店の元売り子で、19歳のとき結婚。今は未亡人になっているが、5つと3つの二児があり、生活に窮し、ついに“闇の女”に転落するに至った

 

▽元外務省タイピスト(20)の場合、父は都庁に勤め、弟妹4人の長女。一昨年3月、女学校を卒業後、挺身隊として貯金局に勤め、終戦後、外務省に転じた。取り調べに当たった係官に「相手には奥さんも子どももあるが、私はあの人が大好き」と恬(てん=平然)としている

 

▽元陸軍省タイピスト(25)の場合、(昨年)12月の第1土曜日に宮城外苑で知り合い、箱根などへドライブするのを得意にしていた

 

▽女性(20)の場合、10歳の時、京都で両親と死別。高等女学校を中退し、昨秋上京した。11月末、有楽町駅で見ず知らずの女に甘い言葉で誘われ、一夜を遊び明かしたのがきっかけで、深みに落ちていった。当局の手にかかって初めて「馬鹿なことをしたものだと思います。真面目になって郷里に帰ります」と泣く泣く述懐している