さげすまれた「パンパン」がどんな意味を持つのか
一方、「闇の女」に間違われて検挙された19歳の女性が青酸カリで自殺した事件(1947年5月31日付朝日「乙女、死をもつ(っ)て抗議 ヤミの女扱いに悲憤」)も起きるなど、「夜の女」は「恥ずべき存在」であり、見て見ぬふりをする国民が大多数だった。
その後、「“性の解放”の一つの姿」「一種のファッションリーダーだった」などと一部に肯定的な見方も登場するが、当時、さげすまれた「パンパン」が自分や社会にとってどんな意味を持つのかという論議はほとんどなかった。
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督が2000年に作った『マレーナ』というイタリア映画がある。ヒロインは第二次世界大戦で夫を失い(後で負傷兵として帰還する)、仕方なくドイツ将校の愛人となって戦後、町の女たちからリンチに遭う。見ていて「このヒロインはイタリアという国そのものだ」と気づく。同じことが「パンパン」にも言えるのではないか。
身の丈以上に大きく背伸びして手を広げた挙げ句、無謀で悲惨な戦争になだれ込んでみじめに敗れ、今度は生きるためにひたすら戦勝国におもねるしかなかった国。そう考えると、「パンパン」という言葉は消えても、その本質は変わっていないのではないかと思えてくる。
「ラク町のお時」の“その後”
「ラク町のお時」はその後、どうしただろうか。
『有楽町有情』(1981年)によるとこうだ。市川で働いて間もなく、同い年の千葉県の造り酒屋の若旦那と恋愛結婚したが1年余りで破局。生まれたばかりの一人娘を抱え、銀座裏でホステスに。このころ、NHKに藤倉アナを訪問。土建業の男性と再婚したとも話していた。その夫は事業に失敗したが、自分が料理屋を手伝って夫と娘、その後に生まれた息子と父親、その後妻の6人で平和な暮らしを送っていた。
ここまでは藤倉アナからの情報だろう。同書は1981年現在の彼女を追い、1977年まで大田区内に住んでいたことが分かった。夫も父親も結核で亡くなり、後妻はいなくなった。家賃の不払いが続き、電気も電話も止められ、サラ金の取り立てが何度も来るようになって息子も姿を消した。娘は結婚して別にいる。彼女のその後は不明。そんな話だった。
ところが、もっと後の彼女についての記述があった。渡辺英綱『新宿ゴールデン街』(1986年)はこう書く。
「最近私はひょんなことから、新宿ゴールデン街の酒場で『ラク町お時』の存在を知ったのだが」
「そんなお時さんも既に60の坂を越えた。今でも時々ゴールデン街の酒場で姿を見かけることがあるが、なかなかどうしてカクシャクとしている。だが、その目はどこか厳しいものを秘めている。いつまでも心のキズは癒えないのだろうか――。今、お時さんはゴールデン街の姐さんたちの相談相手になっている。その道では、やはり、お時さんは“ボス”なのである」
【参考文献】
▽大島幸夫『人間記録 戦後民衆史』(毎日新聞社、1976年)
▽朝日新聞社会部著『有楽町有情』(未来社、1981年)
▽藤倉修一『マイク交遊録 ぶっつけ本番のアナ人生敢闘記』(普通社、1963年)
▽『新明解国語辞典第六版』(三省堂、2008年)
▽藤原彰・粟屋憲太郎・吉田裕責任編集『昭和20年 1945年 最新資料をもとに徹底検証する』(小学館、1995年)
▽上野昂志『戦後60年』(作品社、2005年)
▽小林大治郎・村瀬明『国家売春命令物語』(雄山閣出版、1971年)
▽長田暁二『戦争が遺した歌 歌が明かす戦争の背景』(全音楽譜出版社、2015年)
▽『朝日年鑑(1947年版)』(朝日新聞社)
▽『毎日年鑑1949(昭和24年版)』(毎日新聞社)
▽大谷進『敗戦日本の縮図 生きてゐ(い)る 上野地下道の生態』(悠人社、1948年)
▽渡辺英綱『新宿ゴールデン街』(晶文社、1986年)
▽田中貴美子『女の防波堤』(第二書房、1957年)
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