当初のタイトルは『こんな女に誰がした』だったが…

 当初のタイトルは『こんな女に誰がした』だったが、CIEが「反米感情をあおる恐れがある」としたため変更された(高井昌吏「『女性と戦争』を歌う歌謡曲の戦後史―菊池章子と二葉百合子を中心に」=「マス・コミュニケーション研究88」〔2016年〕所収)。『星の流れに』と題された曲は1947年10月、テイチク(現テイチクエンタテインメント)から発売された。

菊池章子『星の流れに』(テイチクレコード)

星の流れに身を占って 何処(どこ)をねぐらの今日の宿

(すさ)む心でいるのじゃないが 泣けて涙も涸れ果てた

こんな女に誰がした

 

煙草ふかして口笛ふいて あてもない夜のさすらいに

人は見返るわが身は細る 町の灯影の(わび)しさよ

こんな女に誰がした

 

飢えて今頃妹は何処に 一目逢いたいお母さん

唇紅(ルージュ)哀しや唇かめば 闇の夜風も泣いて吹く

こんな女に誰がした 

 

(=菊池章子『星の流れに』〔作詞:清水みのる、作曲:利根一郎〕)

 歌はすぐには売れなかったが、1949年春ごろからじわじわと流行。戦後を代表する歌謡曲の1つになった。その後も多くの歌手がカバーしているが、悲しみだけでなく、女性の強い意志が伝わってくるのは、やはり本家、菊池の歌唱のように思える。

「星の流れに」は今年1948年のヒット曲に取り上げられた(「月刊読売」より)

 同じ1947年、焼け跡の「パンパン」の群像を描いた田村泰次郎の小説『肉体の門』が発表されて話題に。「空気座」で舞台化され、新宿「帝都座」で4カ月のロングランとなった。リンチのシーンで女性の裸が見られるといううわさが広がったためともいう。

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話題になった舞台版『肉体の門』のリンチシーン(『戦後史大事典増補新版』より)

 1948年には久板栄二郎原作の小説を溝口健二監督、田中絹代主演で松竹京都が映画化した『夜の女たち』が公開。高い評価を得た。

映画『夜の女たち』(1948年公開/DVD2014年)

6大都市で推計4万人!

「闇の女たち」はこう書く。

「闇の女たちの発祥地は有楽町だといわれている。はじめは銀座四丁目の地下鉄構内でタバコの闇売りをしていた。場所柄、その数はアッという間に20~30人にも膨れ上がり、そのうちの数人が通行人であるアメリカ兵や日本人に売春するようになった」

 

「やがて地下鉄構内が立ち入り禁止になると、その一群は有楽町のガード下や新橋などに移動していった」

「好色東京地図」は東京の状況を次のように説明している。