シリーズキャラクター+新キャラクターの活躍

 ここで、『標的』から引き続き登場する神林が、冨永の向こうを張る活躍?(本人は、事件に関わらずにいたかったかも)を見せる。夏季休暇でたまたま沖縄に滞在していた神林は、轟音を聞いて現場に急行し、墜落事故の一報を打つ。どちらかというと内向的で不愛想な冨永に比べると、人付き合いのいい神林は“陽キャ”と言える。冨永と神林が静と動の対比をなし、ともすればばらけそうな多視点による物語の求心力になっている。どちらかが登場するたびに、“馴染み”の安心感が醸成されて、読者を引っ張るのだ。

一見平和に見える沖縄だが……

 また、我那覇、楢原、マリア、沖縄防衛局企画部長の山本幸輔ら、他の視点人物も魅力的で、心理がリアルに伝わってくる。冨永を補佐する立会事務官の比嘉忠ら、誰もが生き生きと造形されている。冨永の傍らで繰り出される、比嘉の駄洒落はユーモラスだ。彼は冨永を深夜の歓楽街に連れていき、若者たちの様子を見せる。〈新宿などの都会の毒々しいきらびやかさというより、無邪気なほどに朗らかに見える〉。シビアな現実の中での「なんくるないさ」の気骨なのだろうか。冨永はそこで生きる人々の姿を知っていく。

 沖縄は、日本の中でも特異な歴史を刻んできた場所である。太平洋戦争末期に地上戦が繰り広げられ、終戦後は米軍の統治下に置かれた。一九七二年五月一五日の本土復帰後は米軍基地が残され、沖縄本島で約一五%の面積を占める。在日米軍の基地や施設に使われる土地の所有者を、軍用地主と言う。

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 軍用地主として桁外れの賃料を受け、養豚業とレストラン事業で成功した金城昇一の跡取り息子が、妻の華に殺害された金城一だった。さらにこの物語で墜落事故が起こる喜屋武岬一帯は、戦争末期に米軍との戦いで第六二師団が玉砕し、戦場に取り残された多くの住民が亡くなった場所だ。すると「今」の人々は、どのような動きを見せるのだろうか。

 本書は、そのプロセスをつぶさに描く。シリーズの中でも本書の特徴は、沖縄を舞台にしている点である。前作が書かれた頃にはなかった「新型コロナ」も存在する。

沖縄ならではの特別な事情

〈「沖縄の貧困の敵は、無関心、偏見、諦観」というのが洋子の口癖だった。/マリアも日々それを感じながら、見えない壁を破れずにいる〉。新垣マリアは、幼い頃から見てきた華とその家族を案じつつも「壁」を破れずにいた。冨永は本書の冒頭で「捜査打ち切り」を告げられている。〈早期発見、早期対策こそが無事故の要諦〉だからと、自分なりに最新鋭機の情報収集に努める我那覇は、「限界」に突き当たる。見えない壁は、そこかしこにあるのだ。進もうとしても壁に突き当たり、暗くて道が閉ざされる。その「闇」に、このシリーズは次々と光を当ててきた。

 シリーズを読んで、冨永は、実は“熱い人”だと私は思う。そうでなければ、「壁」や「闇」だらけの世の中で、これほどブレずに仕事に取り組むことはできないだろう。〈冨永は長いものには巻かれろ、空気を読めという発想が嫌いだった。京都の古いしきたりの中で生まれ育ち、その秩序を乱すものは許さないという世界に嫌気がさして、検事を志した。ここには、しきたりも空気もない。あるのは法律だけだ。だから、つまらぬ忖度(そんたく)などする必要はないと考えていた〉と『標的』にある。彼が探しているのは「自由」なのではないか。法の下の平等が保障され、自由に仕事に取り組める公正な社会なのだと思う。〈検事は、事件の真相を明らかにし、罪を犯した者に対して適正な刑罰を求めるのが仕事です〉と言う冨永は、不明確なところがあれば、徹底的に調べていく。

 仕事を通して社会と向き合うのは、冨永だけではない。“闘犬”の異名をとる上司に発破をかけられて飛び回る、記者の神林もそうだ。最近も“オールドメディア”と言われたりする新聞や、検察は叩かれがちだが、どちらも社会にとって大事なものだ。新聞記者だった著者の真山仁さんは、思い込みや幻想を排し、徹底した取材を元にして物語を創り出している。わからないままでは前に進めないから、調べて、「闇」に光を当てる。

 冨永も神林も、マリアも楢原も山本も、自分の歩んできた道から、社会を見ている。真山さんは、彼らの眼差しと思いの一つひとつを捉えて鮮やかに描き出し、本書を人間のドラマにしている。だから、真山さんの小説は読者の心を沸きたたせ、エンターテインメントとして優れているのだ。

墜落 (文春文庫 ま 33-6)

真山 仁

文藝春秋

2025年4月8日 発売

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