「与えすぎることは決してよい結果にはならないのではないか」

「子どもに何を与えるか」——。これは親として永遠に答えが出ないのではと思うほど、とても難しい問題です。塾の生徒を見ていて思うのが、「与えすぎることは決してよい結果にはならないのではないか」ということです。単純に与えることがよいわけでは決してなく、与えたら与えたなりのよさがあり、与えなければ与えないなりのよさがあると思うのです。

 例えば、「わかりやすい授業」を与え続けると、生徒は「わかる喜び」を感じることができます。ただ一方で、「わかりにくいことを理解しにいく」という気骨を発揮させることはできません。また、親が1週間のやるべきことを管理してあげたとしたら、子どもは効率よく勉強ができるようになり、おそらく成績が上がります。でも、自分のやるべきことを自分で決めない癖が身についたままでは、いつまでたっても自分の計画を自分で立てられるようにはなりません。夕飯を親がつくる場合、その間の時間は子どもにとって勉強できる時間になりますが、夕飯を子どもがつくる場合、料理をする力、段取り力などさまざまな力が身につきます。

英語を学ぶ子ども(イメージ)

 このように、何かを与えたら他の何かを受け取りづらくなり、何かを与えなければその分他のものを受け取ることができます。その中で、英語を、親が環境を与えてなるべく学ぶ負担を減らすか、あとから学びたいときに自力で学んでもらうか、と考え、わが家は前者を選びました。

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 たしかに、あとから自分で学ぶことはできるけれど、私自身の経験を考えたときに「英語が話せるようになる」ということは自力で登るには相当ハードルが高いことだったからです。一方で、英語圏で育てばもちろん2、3歳児でも話せるようになるくらい、環境さえ整っていれば英語は習得できるものです。

 ということで、英語は親から環境をプレゼントすることで、子どもたちの可能性が広がったらいいな、そんな思いで取り組んできました。